最高裁判所第三小法廷 昭和49年(あ)1032号 判決 1976年3月16日
本籍・住所
川崎市高津区新作一三一七番地
川崎民主商工会事務局員
平山忠一
昭和一一年五月二八日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四九年三月二七日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人鶴見祐策の上告趣意について
所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
弁護人山内忠吉の上告趣意について
所論は、判例違反をいうが、原判示にそわない事実関係を前提とする主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
弁護人根本孔衛の上告趣意について
所論のうち、昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法(以下、旧所得税法という。)七〇条一〇号、六三条の規定が、憲法三五条、三八条に違反する旨を主張する点は、当裁判所の判例(昭和四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁)により、理由のないことが明らかである。
所論のうち、質問検査に対する不協力がすべて所定の過酷な刑罰の対象とされていることは不合理であるとして、旧所得税法七〇条一〇号、六三条の規定の違憲(憲法三一条違反)をいう点は、質問検査制度の趣旨目的に照らし、旧所得税法七〇条一〇号所定の刑が著しく不合理であるとは認められないから、前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。
所論のうち、旧所得税法七〇条一〇号の罪の内容をなす同法六三条が犯罪構成要件として不明確な条項であつて憲法三一条に違反する旨を主張する点は、記録によれば、旧所得税法七〇条一〇号の刑罰規定の内容をなす同法六三条の規定はそれが本件に適用される場合にその内容に不明確な点は存しないとした原判断は、相当であるから、前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。
その余の点は、違憲(憲法三一条、三五条、三八条違反)をいうが、記録によれば、所論収税官吏小沢二郎の検査につき社会通念上相当な限度内のものであるとした原判断は相当であるから、前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。
弁護人篠原義仁の上告趣意について
所論は、違憲(憲法一一条、一三条ないし一五条、二一条、三一条、三二条違反)をいうが、記録に徴しても、被告人に対する本件の公訴提起が所論のような意図のもとにされたものと認めるべき証跡は存しないから、前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。
よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 坂本吉勝 裁判官 天野武一 裁判官 江里口清雄 裁判官 高辻正己 裁判官 服部高顯)
○昭和四九年(あ)第一〇三二号
被告人 平山忠一
弁護人鶴見祐策の上告趣意(昭和四九年七月一一日付)
第一、法令違反(法令解釈の誤り)
一、原判決は、本件の場合当該収税官吏が福岡宅に臨店した際は福岡において調査に応じなかつたのであるから、具体的に検査に着手しておらず、従つて検査の妨害もあり得ないとする弁護人の主張に対して旧所得税法七〇条一〇号の「検査を妨げ」とは現に行なわれている検査を妨げることだけでなく検査をしようとしているのを妨げることをも意味するものと解すべきであると判示している。
しかしながらこの法解釈は収税官吏による質問検査権とこれに協力しない者に対する処罰を定めた構成要件の構造から考えても明白な誤りといわねばならない。
二、第一審判決は、収税官吏小沢二郎が「簡易帳簿、納品書、仕切書、その他の伝票等の検査をしようとした際」と判示し、現に検査をしていた際でないことを認めており、原判決も本件の場合、検査が現に行なわれていなかつたことを当然の前提として立論していることは明らかである。ところで、旧所得税法六三条の規定を改めて掲げると次のとおりである。
「収税官吏は、所得税に関する調査について必要があるときは、左に掲げる者に質問又はその者の事業に関する帳簿書類その他の物件を検査することができる。」
そして、「納税義務者、納税義務があると認められる者」等を掲げている。
この規定を受けて法七〇条は次のように罰則を定めている。
「左の各号の一に該当する者は、これを一年以下の懲役又は二〇万円以下の罰金に処する。」一〇号「第六三条の規定による帳簿書類その他の物件の検査を拒み、妨げ又は忌避した者」一二号「第六三条の規定による収税官吏の質問に対し答弁をなさない者」
ここで明らかなように当該収税官吏の質問検査に協力しない行為の態様として、法は検査を「拒み」「妨げ」「忌避」および質問に「答弁をなさない」ものを定めているのである。しかも本件の上告審である最高裁昭和四五年一二月一八日第二小法廷判決によれば七〇条一〇号所定の行為のうち、「検査を拒み、あるいは忌避する行為は……なんびとにおいてもなしうる類型の行為につき、特に右のような身分を有する者のみを処罰すべきことが定められているのではない」と判示している。弁護人は判旨全体について賛成するものではない(とくに身分犯の概念について、なんびとにおいてもなしうる類型の行為につき、特に特定の身分を有する者のみを処罰すべきことが定められているものに限ると解するのは疑問が残る。)が、少なくともこの判旨を推しすすめるならば、検査拒否や忌避と区別される妨害は、六三条一号ないし三号の受忍義務者においてもなし得るし、第三者においてもなし得るということになり(右判決は、まさに、この結論をここから導き出している)、逆にいえば、第三者もなし得ると同様に右の受忍義務者もなし得るということにほかならないから、こゝでいう「妨げ」は、受忍義務者という身分を有する者でないとなしえないとされる「拒否」「忌避」という類型とは、その行為の客観的態様自体によつて区別されねばならないことになる。同一受忍義務者の一個の行為が検査「拒否」にもなり「妨げ」にもなるということは絶対にないのであつて、検査拒否と認められる行為があるときは検査「妨げ」はあり得ないし、検査「妨げ」が成立つと認められるときは検査「拒否」はあり得ないことになる。つまり、検査「拒否」と「妨げ」は相両立できない関係にあるといわねばならない。だからこそ原判決も別の箇所では「仮に福岡に調査を拒否する正当な理由がなかつたとしても、同人が調査を拒否するならば、被告人が調査を妨げる余地はない」と判示せざるを得なかつたところなのである。
三、そこで、質問検査権の発動を罰則という間接強制によつて裏付けている法構造をどうとらえるべきかが検討されねばならない。
所得税法上の質問検査が国犯法上の調査と異なり、本来的に任意調査であること、ただこれに応じない場合は、罰則によつて間接的に事実上の「強制」が作用するにすぎないことは異論のないところである。すなわち、受忍応諾するか拒否するかは、調査対象とされた相手方の自由な選択にまかせられていることを認めた上で、それが課税の確保という政府の要求を実現するのに好ましくないと判断されるところから、法は罰則を定めることによつて、その自由な選択に法律上の圧力を加える仕組にほかならない。一般的な受忍義務があり、罰則があるからといつて収税官吏は、納税者等相手方の意思にかかわらず、住所、事務所にあがりこみ、金庫や机の抽斗をあけ、帳簿類に手をふれることはできないのであつて、あくまでも相手方の自由な選択に基き、収税官吏の質問に対応する応答や検査要求にこたえて、帳簿を収税官吏の面前に呈示して、閲覧可能の状態にするなど相手方本人の自発的な作為を期待するほかないのである。そのいみにおいて、質問検査は、相手方の協力があつてはじめて成立つ行為といわねばならない。
四、ところで、収税官吏が臨店して、相手方に検査のため「帳簿書類」の呈示を求めた段階では、未だ検査に至つていないことは明らかである。相手方は、これに応ずべきか拒否すべきか自主的に判断し、これに応ずる意思で、前記の如き「帳簿書類」の呈示を行つてはじめて、「検査」の着手が可能となるのであり、罰則を知りながらもこれを拒否したならば、検査拒否が成立するまでのことである。「検査拒否」は、拒否によつて検査の段階に至らなかつた結果をいうのであるから、行為の態様としてこれと区別すべき「検査妨げ」とは、相手方の応諾があつて検査に入つてから(少なくとも検査可能の状態になつてから)の段階を意味することは明白である。これ以外に「検査拒否」と「妨げ」を区別すべき確たる要因は見出し得ない。要するに検査妨げ犯は、収税官吏が検査に着手した後に、これを妨げる行為(但し公務執行妨害に至らない程度のもの)があつた場合にはじめて成立つ罪といわねばならないのである。(なお公務執行妨害罪が定める公務に対する暴行脅迫は、収税官吏の検査要求自体はそれが適法である限り職務行為であるから検査要求のみで、まだ検査に着手していない段階でも成立ちうることは明らかである。原判決は「検査妨げ犯」を収税官吏の「調査」に対する公務執行妨害に至らない程度の行為の態様とのみ理解していたために「検査拒否」と「妨げ」との関係を顧慮せず判示の如き誤つた解釈をしたのではないかと思われる)そうだとすると、原判決が「検査を妨げ」とは「検査しようとしているのを妨げることをも意味する」と解したのは、まずこの点において誤りといわねばならない。
五、のみならず、前記の規定の仕方を見ると、法は質問検査権に基く税務調査を、質問と検査の二つに区別する立場をとつていることがわかる。
税務調査は質問と検査とがあり、処罰の対象となる行為も、この両者を分けて、質問については不答弁、検査については、前述のとおり拒否、妨害、忌避と定めているわけである。従つて「質問」の妨害という類型は予定されていないのである。
本件の場合、第一審および原審の証拠上明らかなように被告人が現場に赴いたときには、第一、第二の事実とも、すでに納税者本人および福岡は、事前連絡もなく、多忙の際であることを理由に「調査」をことわつていたのであり、被告人が福岡宅に赴いた時点では、係官らにおいて「調査」のため臨店していたということは仮に云えるとしても、協力しようとしない福岡に対してこれから係官のとる方法が「質問」か「検査」要求かはつきりしない段階なのであるから、被告人が「調査」に抗議したとしても、それが直ちに「検査を妨げ」にならないことは、明白である。
原判決は、福岡が「調査」を拒否していたと認めているが、収税官吏が「調査」のため臨店すれば「質問」ではなく、すべて「検査」要求であると独断しているのは、明白に事実の誤認であるとともに、法律の解釈を誤つたものと評さねばならない。
六、また仮に原判決の判示の如く、収税官吏が福岡に対し、帳簿や伝票を見せるように促し、その検査をしようとしていたと認められるとしても、その段階における調査に抗議した被告人の行為は、検査妨害ではなく、強いていうならば、検査拒否の共犯と見る余地があるかどうかの問題にすぎない。本件の上告審判決(多数意見)は、「検査妨げ犯」がいわゆる身分犯でない旨を判示したにとどまつたため第二事実の共犯とされる福岡とし子が受忍義務者たり得るかどうかという、その地位については何ら言及されていないが、検察官主張のように福岡とし子が福岡本人の事業の経理に精通している者であり、質問検査権の受忍義務者と同視されるべき立場にあると解されるならば、なおのこと、共謀関係が前提とされている被告人の行為は、検査妨げではないと断定されねばならないのである。このことは結局、「検査拒否」「妨害」の行為の態様の差異に帰着する問題である。
七、よつて、原判決は、主文に影響を及ぼすべき法令の違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると確信するものである。
第二、法令違反(訴訟法違反)
一、原判決は、前述のとおり、「検査妨げ」について納税者本人である福岡が「調査を拒否するならば、被告人が調査を妨げる余地はない」と判示し、且つ福岡が調査をことわつていた事実を肯認しながら、なお「検査しようとしているのを妨げることをも意味する」との解釈をもとに被告人の有罪を支持している。これは、結局、論理矛盾にほかならず、理由不備、理由齟齬というべきであつて、原判決には、主文に影響を及ぼすべき、訴訟手続上の法令違反があり、破棄を免れない。
第三、法令違反(訴訟法違反)
一、原判決が支持した第一審判決は、「納税義務者」「必要あるとき」など犯罪構成要件たるべき事実の認定を欠いている。
前記旧所得税法六三条は、七〇条一〇号の犯罪構成要件たる意義を持つことは明らかである。そうだとすると、同法の検査妨げ罪が成立するためには、収税官吏から検査を求められた者が六三条一号の「納税義務者」「納税義務があると認められる者」又は「損失申告書を提出した者」等のいずれかにあたる場合でなければならない。換言すれば検査妨げ罪は、本件上告審の最高裁判決に従つて身分犯でないとしても、検査の対象となる者は、右のような資格を備えていなければならないわけである。
そこで本件をみると、被告人について検査妨げ罪の成立を認め、刑罰を科するためには、福岡が「納税義務者」などにあたるという厳格な証明による認定がなされねばならない。
ところが原判決第一審判決でも、この点の認定をせず従つて判示もしていない。罪となるべき事実としながら、そこには何ら犯罪を構成する事実が含まれていないことに帰する。これはとりもなおさず、判決に理由が付されていないことにほかならず、実体的には法律の解釈を誤つたものであり、ひいては訴訟手続上審理不尽ないしは理由不備の違法をおかしたものといわねばならない。
二、のみならず、本件起訴状においても、訴因たるべき右の事実が記載されていない。これは、刑訴法三三九条一項二号の「起訴状に記載された事実が真実であつても、何ら罪となるべき事実を包含していないとき」に該当し、裁判所は決定で公訴を棄却すべきであつた。にもかかわらず第一審裁判所は、不法にこれをしなかつたのであるから、原審は、刑訴法四〇三条により決定で公訴を棄却しなければならない責務を負うていたといわねばならない。
三、よつて、原判決は、主文に影響を及ぼすべき訴訟法上の法令違反があり、いずれにせよこれを破棄しなければ著しく正義に反すると確信する次第である。
以上
○昭和四九年(あ)第一〇三二号
被告人 平山忠一
弁護人山内忠吉の上告趣意(昭和四九年七月一一日付)
原判決は最高裁判所の判例と相反する判断をしたものであつて破棄を免れない。
一、昭和四八年七月一〇日の広田権次郎に対する所得税法違反被告事件に関する最高裁判所第三小法廷判決は、所得税法二三四条(旧所得税法六三条)の質問検査の範囲、程度、時期、場所等実定法上特段の定めのない実施の細目については、質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまるかぎり、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられているものと解する旨判示した。すなわち、質問検査権の行使の範囲、程度についての相当性は税務職員の主観的判断によつて足れりとするのではなく、社会通念上相当な限度という客観的な規準によるべきことを、右判決は明らかにしているのである。
二、しかしながら本件に於て税務職員小沢二郎のなした質問検査権の行使は、到底社会通念上相当な程度の範囲内に止るものとはいえず、強制力の行使ともいうべきものであつたことは証拠上明らかである。以下これにつき詳述する。
1 一審における証人小沢二郎の証言調査には
問 調査に行つた場合に本人が調査をこばんだ場合はどうするという考えでありましたか。
答 はい、その場合はあく迄も本人に協力していただいてそれで調査の目的を果そうという気持で行きました。
問 帰つてくれといわれたら簡単に帰るという気持はなかつたですね。
答 ありません。
とあり、同じく一審における証人辻弘道の証言調書には
問 帳簿書類の提出を拒んだ場合、そういうものを強制的に見たり聞いたりする権限がありますか。
答 あります。それは質問検査権にはいつています。
とある。此のように本件調査にあたつた税務職員には、前記最高裁判例の判示するような「相当な限度」などというものは眼中になかつたのである。納税者の宅を予告もなく訪れ、そこがどんなに忙しかろうが、また、そこに会計担当の人がいようがいまいが、ともかく強引に検査を要求する。しかも調査目的の昭和三七年度の所得に関係があろうが無かろうが、そういうことには一切おかまいなく、何でもかでも検査を要求するという目的で、福岡宅を訪れたものであること、さらに、福岡から正当の理由を告げられて調査を拒否されても、なおかつ、かんたんには帰らず、強制的に検査を強行する職権濫用の意図を以て福岡宅にのりこんだことは、右両名の証言によつて明らかである。
2 税務職員小沢二郎が現実に行つた質問検査権の行使も、前期の意図を実行したものというべきものであつた。
九月一一日の経過は次のとおりである。
証人小沢二郎の証言によると、同人が福岡宅の玄関に入つて二、三分した時、西森という男が入つてきた。西森に対し、同人は、あなたの名前は何だときき、相手が西森だと答えると、同人は、外へ出てくれと要求したというのである。
差戻後の原審で取調べた証人西森猛の証言調書にも、西森が小沢から、いきなり、お前はだれだと一喝されたこと、さらに、お前は関係ないんだから出てくれといわれたこと、小沢ともう一人の税務職員が福岡宅の入口の上りかまちに坐つて、威たけだかにどなつたこと、福岡和彦は税務職員に対し、帳簿は妻がやつていて分らないから、妻のいるときに出直してくれと再三いつたが、税務職員は、調査を拒否するのかといつて居坐りつゞけていたこと、そのあと被告人平山が玄関から入ろうとすると、小沢は平山に対し、入るな、帰れ、ということを何度も云つたこと、あげくの果には平山に対し、「ごろつき」と迄いつて罵倒したことを証言している。
また差戻後の原審証人鈴木俊夫の証言調書によると、福岡宅では、主人は職人気質、仕事一本で、経理の方は奥さんに任せつきり、勘定をもらいに行くのも奥さんであり、帳簿をつけるのも奥さんであつたこと、九月一一日税務職員が福岡宅に来たとき、主人は、「今日はとにかく家内がいないんだから、また帳面もないから、この次にしてもらえないか」といつたけれども、税務職員二人は玄関の奥の上りかまちに坐つて動かなかつたこと、そのうちに、平山が入つて来て、「主人も帰つてくれというんだから帰つたらいいじやないの、後日にしたらいいじやないですか」というようなことをいつたことを、証原している。
九月一七日の経過は次のとおりである。
同日は、福岡の作業場では、二〇日〆切の納品を控えて、全従業員が忙しく働らいていた。一審の証人小沢二郎の証言調書によつても、当日、福岡の主人は忙しそうに作業台の上でカンナ掛けをしており、奥さんは木型にニスをぬつていたことを証言している。さらに一審の証人福岡和彦の証言調書にも、同人が「今日は仕事が忙しいから、この次に来ていたゞきたい」、「お帰り下さい」とはつきりと述べたことを証言しているし、同じく一審証人福岡とし子も、平山が来る以前から、今日は仕事が忙しいから、お帰り下さいと、何回も税務署員におねがいしたが、税務署員は帰ろうとしなかつた経緯を供述している。さらに差戻後の原審での証人鈴木俊夫の証言調書にも、当日は、二〇納品の仕事で多忙であつたこと、福岡さんの奥さんは、その日牛後にとりにくる木型にニスを塗つていたこと、奥さんは、税務署員に対し、「今日はとにかく忙しいから帰つてもらいたい」といつたこと、しかし税務署員は帰ろうとせず玄関に立つていたこと、そのうち平山が入つて来ると、税務署員が平山に対し「君は何だ」といつておこりつけたこと、平山はこれに対し「帰れとはなんだ」と返答し、互に大きな声でいいあつた。
そこで鈴木は、精密な計算を要する木型のケガキの仕事が妨げられるので、税務署員らを六〇センチの鉄の物差を横にして押し出したこと、その際平山は最先に外に出たこと、三人が外に出たあと、鈴木は玄関の戸を締めたこと、翌日の新聞には、鈴木俊夫が、調査に来た税務署員を暴力で突き飛ばしたとかゝれてあつて、おどろいたことを証言している。その後、鈴木は警察でしらべられたが、そのときは、鈴木が主犯みたいにして取調を受けたのに、いつのまにか鈴木は起訴されず、平山が起訴されたことを知つて、税務署はずるいと思つたと証言している。このとき平山は福岡宅を訪れはしたが、四、五分後、税務署員と共に、鈴木俊夫によつて追い出されてしまつたというのが真相なのである。このことは証人小沢二郎の証言調書にも、その日、福岡宅を帰つたのは、福岡の従業員により、玄関から出されてしまつたのが原因であると証言していることによつても裏づけられているのである。
3 これらの両日経緯によつても明らかなとおり、両日とも、福岡和彦ないし福岡とし子が、突然訪れて調査を要求した税務署員に対し、今日はおかえり下さいと述べたことには理由があり、小沢二郎その他の税務署員がこの要求を無視して居坐りをつゞけたことは、社会通念上相当の限度を逸脱したものであつて、前記判例にてらし、質問検査権の適法な行使ということはできない。これに対する平山の抗議は、刑法三五条の正当行為である。しかるに、これを有罪と認定した原判決は、前記判例の職旨に反するものであつて破棄を免れない。
以上
○昭和四九年(あ)第一〇三二号
被告人 平山忠一
弁護人根本孔衛の上告趣意(昭和四九年七月一〇日付)
一、旧所得税法第七〇条一〇号は憲法第三五条、第三八条に違反する。
(一) 同法第三六条の質問検査権による調査は任意調査である。
本件被告人に適用された旧所得税法第七〇条の罰則は、同法第六三条の収税官吏の質問、検査権の行使を前提とし、それに対して、被行使者の作為・不作為の一定の行為類型に対して罰則を科することをその内容としている。したがつて第六三条が定める収税官吏の質問及び検査は第七〇条の罰則の構成要件の一部をなしている。第七〇条の罰則を憲法に即して解釈するにあたつては、おのずから同第六三条の内容を正しく把握することが必要である。
六三条の質問、検査権の行使は、税務職員の調査の一部であるが、これは納税義務者らの意思に反しても強行しうる強制調査ではなく、その調査をうけるか否かを被行使者の意思にかかわらしめている任意調査であることは学説、判例の一致しているところである。それにもかかわらず任意とはいいながら、同法第七〇条に罰則があり、それが質問に対する応答、検査の受諾を間接的に強制しているところに、問題をまぎらわしくしている原因がある。
我が国における租税法制において、税務職員の質問、検査権の行使に対する納税義務者らの態度について罰則が付せられた歴史はきわめて新しいことである。昭和一五年にいたつて漸く検査についてのみ罰金の罰則がつけられ、昭和二二年に米占領軍の圧力の下に質問不答弁に対する罰則がこれにくわわり、処罰の内容として懲役も追加せしめられた。罰則のなかつた時代においては、脱税に対する国税犯則取締法にもとずく強制調査に対比し、所得税法上の質問、検査が任意調査であることに疑いをさしはさむ余地はなかつたのである。
さらに現在の所得税法制度の構造的本質からもこれが任意調査であることは明白である。戦後わが国の所得税納付制度は周知のとおり申告納税制度を採用し、それが原則になつていることは法文上もあきらかである。所得税は暦年終了のときに抽象的に納税義務が成立し(国税通則法第一五条)、所定期限に納税者が確定申告することによつて、その内容である税額が具体的に確定する(同第一六条)。例外として、税務署長は申告に一定の誤りがあつた場合には更正により(同第二四条)、申告がない場合には決定により(同第二五条)、国に留保された決定権を行使する建前になつている。このように税務権力の発動は納税義務の確定にあたつてあくまで補完的なものであり、また例外的なものである。憲法第三〇条同第八四条の租税法律主義に規制されている我が国の所得税制度は申告に示された納税者=国民の納税の意思による税の確定が主体であり、原則である。
税務職員の質問・検査は、この申告納税制度の公正な運用を担保するために設けられているとされているが、税務調査は税務署長による更正または決定のかたちでの権力行使の前提としてのみ理解されてはならない。納税申告書の記載が誤つており、また誤つて申告がなされなかつた場合でも、必ず更正あるいは決定がなされるわけではないし、またなすべきものでもない。国税通則法第一九条には、納税義務者による申告訂正の手段即ち修正申告の制度が定められており、税務署当局も調査の結果申告の誤りを発見した場合には納税義務者にその間の事情を話して修正申告をさせることが多数であるのが現実である。
以上のごとく税務職員の質問検査権は、租税の平均的な負担という行政目的のために、税務当局が国民に行政事務について任意の協力を求める権利であるが、これは一応権利と称されていても、行使の対象者に義務的行為を強制的に履行せしめるものではない。むしろ税務職員に対する権限の授与ともよぶべきものである。納税義務者はこの行使に対し受忍義務があるという法律上の通常の意味における権利と異つたものであり、税務職員の側の自由権に属する。この場合国民の側にも質問・検査に応じるか否かの自由権があり、国家権力の側の自由権と国民の側の自由権の併存が任意調査の本質である。
以上のごとく、質問検査権は、歴史的に考察しても本来強制の要素をふくまず、現在の法構造からしても納税者である国民の租税における民主主義、自主決定の原則を補完する制度であつて、この本質が憲法判断にあたつても基礎とならなければならない。
(二) 質問・検査権に罰則を付することは憲法に違反する。
権力行使の便宜の側面からのみ事態を観測するならば、税務職員の権限の行使に対応する納税義務者らの行為について罰則を付し、その威力のもとに権力の意思を貫徹させることがのぞましいであろう。質問検査権に罰則を付するための権力側の試みは戦前早くから再三にわたつて企てられたが、明治憲法下の帝国議会すら国民の権利に対する侵害をおそれてこれをはばみ、昭和一五年軍国主義が日本全国を掩う時代になつてようやく実現し、さらに米占領軍の圧力によつて罰則が追加ならびに強化されたものであることはすでにのべたとおりである。
質問検査権の行使に罰則を付することは本質的、必然的要請ではない。罰則をともなわなくとも税務行政の目的を達することができることは、戦前の歴史がこれを証明している。明治憲法下でもおそれられた国民の自由権侵害の危険に対して、基本的人権の尊重についてはるかに高度の水準でこれを保障している日本国憲法が、その危険に配慮をしていないという道理がない。新憲法は社会秩序侵害の蓋然性の高い刑事被告人、被疑者に対してすら黙否権を認め、住居、身体等の捜査については裁判官の発する令状を要求しているのである。平隠に生活している国民が国家の収税事務という行政目的実現に積極的に協力しなかつたからといつて、罰則が科され、その脅威のもとに、国民が沈黙している自由、何もしない自由を自らやぶらざるをえなくされ、またほしいままな住居に立ち入りを許し、財産に勝手にふれさせない権利がおかされるのを承諾せざるをえない立場においこまれてもよいというのであろうか。新憲法は、犯罪の容疑者の場合よりも一層強い意味において、国民のこれらの自由と権利を尊重し、その保障をしているはずである。憲法第三五条、第三八条を刑事被告人、被疑者に限定すべき根拠は条文の表現上もなく、論理的にもない。行政権力が国民の自由と権利を侵害する危険は警察、検察の場合に限らないことは歴史的事実であり、一般の行政執行の面においても、これら憲法の条項はひとしく適用されていると解するのが相当である。米国における行政手続においても、国民に特定の質問への答弁を要求し、また特定の書類の提出を要求するときには、不合理な捜索、押収を禁止している合衆国憲法修正第四条と自己負罪に対する特権を保障する修正第五条の適用を前提として、行政的召喚令状が要求され、さらにその令状の合法性について同条項等が適用され、審査される(Boyd v.United States, 116U.S.P. 630)。我が国の所得税法等における質問検査権の行使は司法官憲の関与する行政的召喚令状をすら要求していない。
このように何ら司法的抑制のない行政権力の執行に国民が協力しないからといつて罰が科されるということは明らかに不合理であり、新憲法をつらぬく人権尊重の精神とあいいれないものである。軍国主義下に導入され、外国占領軍の圧力の下に強化されたこのように不当な罰則は、日本国憲法の施行とともに廃止されるべきものであつた。立法府が形式的にこれを廃絶しなくとも裁判所はこれら罰則を憲法第三五条、三八条に違反するものとしてその適用を拒否すべきであつた。占領軍の権力に抗してそれらの措置をとることができなかつたとしても、昭和二七年五月二八日占領の終了によつて新憲法が全面的に効力を発揮しうる時点以後においては、これら違憲の法令の適用を排斥するについて障害はないはずである。
(三) 他の行政罰則に比較して本条の不合理性はあきらかである。
本件において処罰の適用法条である旧所得税法第七〇条所定の行為はいわゆる刑事自然犯(刑事犯)ではなく、その行為自体は本来的に反道徳性、反社会性を及びるものではない。このことは現実の国民感情からして、またすでにのべた沿革にてらしてもあきらかである。この罰則は国家権力が徴税という行政目的を達成するための政策的・技術的要請から設けた行政罰の一種である。日本国憲法の下においても多くの行政罰則が存在し、現実に機能している。それらの中には憲法の見地から問題とされなければならないものもあるが、そのすべてが憲法違反とされるものではない。それらの中には所得税法の質問・検査に類似し、監督的立場にある公務員の立入検査を認め、これを妨げる者に対して処罰をしているものがある。例えば古物営業法第二三条一項、同第三〇条二号火薬類取締法第四三条、同第六一条五号、鉱山保安法第三五条一項、同第五七条五号、電気事業法第一〇七条、同第一二〇条等である。これらの行政法規において立入の対象になつている者は営業の許可等国法上特別な地位を与えられているものである。その特権の反面として特別な受忍義務をおつているものである。それらの者がその地位から去るならば、これらの法律の適用は問題にならないのである。
これに反して納税義務を負う者は、収入がないか極めて少い例外的な者を除いてすべての国民である。またこれら取締の対象となる者のあつかつている仕事はそれらについて十分な注意がされず放置されているならば、他人の生命、身体、財産につき、あるいは治安上の危険を生じるおそれがあるから、即時に立ち入り、検査等をする必要があるのである。これに対して税務についての調査がなされず、または遅れたとしても、公共の安全にとつてさしせまつた危険が生じるわけではない。脱税の疑いがあるならば、国税犯則取締法によつて裁判官の令状をえて強制調査を行えばよいのである。税務職員の調査の手段のうち、納税義務者らに対する質問・検査はその一部にすぎず、質問・検査についてまた納税義務者らの協力がえられない場合には、旧所得税法第四五条三項は推計による更正または決定を認めているのである。多くの行政法規における立入・検査等に比して、所得税についての質問・検査は、放置される場合の危険性及び緊急性において、また他の手段をもつてする代替性の点において、その必要性は比較にならぬほど少ないのである。反面、立入、検査される場所は限定されず、対象者のプライバシーが侵害される危険は極めて大きい。このように税務職員の質問・検査権の行政に、罰則をともなわせることの憲法違反性は他の行政罰と同一に論ずることはできないのである。
二、旧所得税法第七〇条一〇号は憲法第三一条に違反する。
(一) 任意調査に罰則を付することの不合理性は顕著である。
日本国憲法は刑事被告人、被疑者の人権保障について詳細に規定している。これが軍国主義下の国家権力のほしいままな行使によつてこうむつた国民の苦い経験と反省からきていることはあきらかである。これらの刑事被告人等の人権に対して入念な規定をした憲法が刑事関係以外の行政権力行使の対象者の人権について配慮し、保障しなかつたとは考えられない。憲法の精神は、刑事事件関係者の人権もさることながら、後者の人権をもより高い程度において尊重していると考えるのが常識である。これを租税に関していうならば、形式的には行政手続であるが、実質的には刑事手続と考えられる国税犯則取締法にもとずく脱税犯被疑者の人権の保障と行政手続に相違ない所得税の事後調査対象者の人権の保障とを比較するならば、良識ある国民は後者の人権侵害の予防についてより注意深くあらねばならないというに違いない。国税犯則取締法にもとずく調査には、裁判官の令状を要する強制的措置と令状を要しない任意捜査とがふくまれている。この任意捜査に被疑者が協力しないからといつて罰則を科するわけにはいかないことは一般の刑事犯の場合と異ならない。脱税の疑いをかけられているわけでもない納税義務者らに対する調査について、対象者がこれに応ぜず、協力しないからといつて何故に罰則が適用されなければならないのか、脱税犯の任意捜査の場合に比較して、人を納得せしめるに足りる合理的な説明ができるであろうか。申告をしないか申告を誤つているのではないかと税務職員が考えたものは全て脱税者として扱い、その調査については多少の事実上の強制をともなつてもよいと考えることの不合理はあきらかである。申告を誤つたものは、即脱税容疑者ではないことはいうまでもない。申告を誤つた者を脱税容疑者扱いすることは所得税法の不当な拡張であり、国民に対するいわれなき偏見であるといわなければならない。このような見解は所得税法上の質問・検査権の本質から遠く離れているものである。脱税容疑者に対する取扱いには国税犯則取締法の規定があり、必要があるならば令状による捜査を行えばよいのである。脱税者と申告を誤つた者は納税義務を正しく果さなかつた点については共通であるが、両者の間には本質的な区別があり、厳密に区別されなければならない。行政の執行に名を借りて、司法的抑制をのがれ、考え方によつては犯罪容疑者に対するよりも強力な強制により、納税義務者らの人権が国家権力による侵犯の危険にさらされてよいわけはないのである。
これを他の行政分野に比較するならば、警察官職務執行法第二条は警察官に対して犯罪行為と関連して合理的に判断して相当の理由がある場合には、その対象者に対し質問を認めている。この場合相手方は、この質問に応じないからといつて強制的処分をされることは全くないのである。道徳的に批難されるべきものとされている犯罪に関連していると判断される場合でさえも強制されることがないのであるから、税務職員の行政執行の便宜のためにもうけられた質問・検査に協力しないからといつて罰則が科せられるというのは全く不合理である。このように不合理性が明白である旧所得税法第七〇条は憲法第三一条に違反するものといわなければならない。
(二) 本条の罰則の内容は過酷である。
税務職員の質問に答えず、検査を拒むということは、そのことによつて直接に収税という行政目的を侵害し、行政法規によつて維持されている社会法益を侵害したというわけではない。たかだか税務職員が質問・検査によつてえられるであろうと期待していた収税のための資料の蒐集ができず、目的達成のための便宜がえられないおそれが生じたというだけである。いいかえれば所得税法が納税義務者らに期待していた、正しい税額の確定のための税務署側の補完事務について協力がえられなかつたことにすぎない。田中二郎最高裁裁判官はその著作、行政法総論において、行政法規に違反する行為であつても「直接には行政目的を侵害し社会法益に侵害を加えるということなく、行政上の秩序に違反し、間接に行政日的に障害を生ずる危険があるに止まる場合は、行為自体としては単純な義務の懈怠であつて、これに対してまで一律に行政刑罰を科するのは必ずしも妥当ではない」とされ、これらの行為に対しては「直ちに行政刑罰を科すべきものとせず、秩序維持の見地から、秩序罰としての過料を科するのが妥当である」とされている(同書四二二頁)。質問に対する不答弁、検査拒否は、調査に協力しなかつたというにとどまり、厳密な意味においては義務の懈怠すらにならないことはすでにのべたとおりである。
仮りに税務職員の質問検査権行使に対して納税義務者らに受忍義務があるという見解がとられたとしても、この場合はまつたく消極的な義務であつて、行政上禁止されたことを行うとか、作為を命じられていることをしない等の場合に比して、程度の低い義務懈怠というべきである。それにもかかわらず、旧所得税法第七〇条は一年以下の懲役または二〇万円以下の罰金を科している。これはまさに行政刑罰であつて、行政上の秩序罰としての罰則ではない。行政処罰が許されるものとすれば、この罰則に比してはるかに合理性があると思われる前述の古物営業法火薬類取締法等にさえ懲役刑はついていないのであり、罰金の最高限度も五万円以下である。所得税法上の質問に対する不答弁、検査拒否について、何らかの罰則を科することが収税という行政目的達成のためやむをえないと考えられるとしても、旧所得税法第七〇条所定の罰則はあまりにも過酷といわなければならない。これがそのまま適用されるとすれば税法は日本国憲法秩序の枠の外にあつて国民の基本的人権に脅威を与えているといわなければならない。現行憲法の下でこれに対して処罰が許されるとしても、せいぜい過料を科すことが限度である。このように過酷な罰則を定めた旧所得税第七〇条は憲法第三一条に違反するものである。
(三) 本条は構成要件としての不明確である。
旧所得税法第七〇条の罰則が過酷である点を別にして、何らかの意味において罰則として認められるとしてもそれが罰則であるかぎり、憲法第三一条の規制の下にあり、その構成要件は明確でなければならない。同条は、右第六三条の収税官吏の質問・検査をうけているのであるから、この両条の規定の仕方が構成要件として明確でなければならない。このことは、一般的な意味において罪刑法定主義上の要請であるばかりでなく、所得税法上の質問・検査にともなう間接強制という処罰の特質からも一層強い意味において要求されるのである。
所得税法上の税務職員の質問・検査は任意調査であることが一般に認められておりながらも、それに協力しない場合は罰則を科することをもつて間接的に強制しようということは明らかに矛盾である。これを強いて両立させようとするならば、応答するか拒否かは相手方の自由な選択にまつものであることをまず認めることである。ついで質問不答弁、検査拒否が財政目的達成の上からのぞましくないので、やむをえず罰則をもうけ、その圧力によつて相手方の自由であるべき選訳が権力の望む方向にむかうように仕向けているが、相手方が協力したくないならば、その意思の貫徹と処罰される不利益とを比較考量の上、そのいずれをも選択できると解するほかはない、罰則が科せられることがあるかもしれないことを覚悟するならば税務職員の質問・検査に応じないでもよいという最低限の選択の自由は相手方に委ねられていることになる。罰則を付する意味はそのようなものであるからして、相手方がその選択をおこなうことができるように質問・検査要求の内容は一義的であり、また質問検査権行使の要件は明確になつていなければならない。そうでないと相手方は多義的な質問には答えることができないのであり、どのような条件に合した質問・検査の要求にこたえなかつた場合処罰をうけることになるか判断することができず、したがつて応待する態度の選択をすることができないことになる。旧所得税法第六三条、第七〇条の規定の仕方は人般的に罪刑法定主義の要求に反し、特殊的には納税義務者が税務行政に協力するか否かの最少限の選択の自由を行使するためにはあまりにもあいまいであり、国民を不当に網する規定であるといわなければならない。
これを具体的に考察するならば同法第六三条一号は質問・検査権行使の対象者として「納税義務又は納税義務があると認められる者」としているが、その範囲は明確でなく、両者の間の区別についても甲論乙ばくしてその行方がさだまらないという有様である。さらに「調査について必要があるとき」質問・検査をすることができるとされているが、その「必要」性については具体的な規定を欠き実際には収税官吏の判断にかかつてくるわけで、浮動性と不安性はまぬかれない。何をもつてこの条項にいう質問といい、検査の要求かということについてもあきらかではない。ここにおいては、収税官吏の質問・検査要求に対応する相手方の行為が処罰の対象になるわけであるが、その前提となる質問検査の具体的内容が、相手方の行為を求める時点において明確になつていなくては対応の仕ようがない。また要件が具体的に規定されていなくては、相手方はそれらが罰則をもつて間接的に強制されている質問・検査の要求であるかどうか、判断しかねる。判断にまよつてしゆん巡して一定の行為にでなければ不作為犯として罰せられるというのである。納税義務者に万一にも罰をうけたら困るという考慮が強くはたらけば税務職員の言うことは何でもしたがうということになる。
構成要件の構成部分である調査の必要性が税務署側の判断如何にかかり、また質問・検査要求の内容が収税官吏の意思とその選択によつて、その態様、程度、範囲が具体化されるということは、この処罰の構成要件が条文にあらわれた規定の上では白地であるということである。白地刑罰法規は日本の刑罰法規としては許されないものであることはいうまでもない。
ことに、本件のように行政犯の場合には、犯意の成立に違法の認識を必要とする。田中二郎最高裁裁判官は「行政犯にあつてはその行為自体が社会通念上当然に犯すべかざる反社会性をもつものではなく、行政法規による命令又は禁止の存在を前提とし、これに違反するが故に反社会性を有するに至るものであるから、その行政法規による命令又は禁止の存在を知らなかつた場合(違法の認識のない場合)には、反社会意思の成立はないものとし、犯意の成立が阻却されると解すべきであり、自己の行為が法に違反することを知りながら、敢えてこれに違反した場合にはじめて犯意が成立するものとし解するのが正当であろう」とされている(同書四一六頁)。所得税についての質問・検査の場合、税務職員の質問検査権の規定があることはわかつていたとしても、具体的な場合調査の必要があるのかどうか、そこにいる税務職員の言動は条文にいう質問・検査にあたるかどうかが、またそれに対する不答弁拒否の態様が、客観的に国民の誰にでもわかるように規定されていない旧所得税法第六三条第七〇条は行政処罰法規として本質的な欠陥をもつており、これによつて国民を処罰することは憲法上許されない。
さらに、この両条項は、直接的な行政命令違反を処罰する通常の行政刑罰法規ではなく、権力の要求に反した場合は処罰を受けてやむを得ないとする相手方の態度選択の自由を一応認めた上での間接強制の規定であることに注意する必要がある。処罰が現実におこるか否かは相手方の意思如何が不可欠である。このような場合、権力の要求の範囲が明確でなくては、国民は法の上で認められている選択の自由すら十分に行使することはできないのである。このような規定の仕方をなお憲法第三一条に適合するというならば、税務当局の一方的な判断をもとにして行われる処罰をおそれる善良な国民に対して税務権力は規定の不明確に乗じて質問検査権を濫用し猛威をふるうであろう。本件もその一部である昭和三八年、国税庁が民主商工会に対して質問検査にかこつけておこなつた一斉弾圧は、そのような事態が現実の危険であることを証明している。この質問・検査については刑事捜査令状のような時間的制限の明文がない。新憲法下の裁判所が無制限の権力行使の要求ともいうべき国税当局・検察側の質問・検査についての見解を承認されるならば税務権力によつて納税者である国民は四六時中、住居の不可侵、人身と営業の自由が侵される危険にさらされるといわなければならない。
三、川崎税務署収税官吏小沢二郎が、昭和三八年九月一一日及び同年同月一七日川崎市東渡田一丁目一一番地福岡和彦方における旧所得税法第六三条にもとずく質問、検査権の行使は憲法第三八条、第三五条に違反し、これを容認した原判決は前二条の解釈・適用を誤り、憲法第三一条違反の裁判である。
(一) 収税官吏の違法な権力行使
1 所得税、あるいは法人税法上の質問検査権をめぐる税務権力と国民=納税者との間の粉争の根源は、税務権力の質問検査権についての誤解というよりはその意識的な悪用、乱用にある。その中心点は、これが任意調査であるという判例上も学説上も争いのない本質を国民の目からかくし、実質的には強制調査として運用していることにある。であるから、本件がその適例であるこれら質問検査権の行使に名をかりた調査の強要は実質的には所得税法あるいは法人税上の質問検査ということはできない。このような遣り口は、国家権力の至上と国民の権利の無視ないし軽視を基本的性格とする明治憲法下の行政執行に起因することはいうまでもないが、前述のとおり軍国主義の深まりのなかに行われた課税のための調査に協力しないものに対する罰則の新設と戦後日本を占領した外国軍隊によるその強化によつて、一層拍車をかけられることになつたのである。これら罰則も、収税官吏の質問検査を任意調査から強制調査に変えるものでなく、納税者がこれに協力しない場合は罰が課せられるであろうということを予告することによつて、間接的に、心理的に協力意思を強制するにとどまるのである。したがつて収税官吏の質問検査行為自体には何んら直接的強制力は附加されてはいないのである。これらと裁判官の令状にもとずく質問強制調査との間においては、きびしい一線が引かれなければならないのである。言いかえれば、収税官吏が旧所得税法第六三条にもとずいて調査をしようとし、納税者に質問を発しようとし、検査物の提出を求めようとしても、納税者がこれに協力しようという態度に出ず、これをことわるならば収税官吏はただちに門口から引き返さなければならないのである。納税者が帰つて貰いたいと言つているのに、そこに居据り、なお執拗に調査の協力をせまる権限は全くないのである。これを反面からいえば約税者の退去要求に応じないのでなおとどまるならば、収税官吏は不退去罪になり、あるいは軽犯罪法第一条二八号に触れることになるのである。納税者から調査への協力を拒否された場合収税官吏に残されたこの問題についての権限は、捜査官権に対しては罰則の適用を請求す告発の手段が残されているだけである。これは任意調査の本質から出てくる結論である。
2 税務権力はこの任意調査を現実には強制調査に変質せしめている。処罰を覚悟するならば質問調査を拒否することのできる納税者が調査をことわり、退去を求めても退去をせずに強制的に調査をしようとするのである。本件でも川崎税務署員小沢二郎は一審の証言において検察官尋問において、つぎのように答えている。調査に行つた場合に本人が調査をこばんだ場合はどうするという考えがありましたか
はい その場合はあくまで本人に協力していたゞいてそれで調査の目的を果そうという気持ちで行きました。
帰つてくれといわれたら簡単に帰るというような気持はなかつたんですな
ありません
調査協力をことわられようが、退去を求められようが、そこに居据り徴税権力をかさに納税者に圧力をかけている税務権力のあり方が、彼ら自身の口から明らかにされている。日本の国家権力は、国民の権利を無視し、じゆうりんしてはばからなかつた。権力の一端につながる者は自分ら権限を逸脱しようが、少々乱用にわたろうが、国家権力は決して自分たちに制裁を加えはしないということに自信をもつており、それが人権侵害を行つてはばからない態度となつて出てくるのである。国家権力の現実が彼らの横暴な権力行使をゆるし、国民を見下すごう慢な態度をとらしめているのである。
国民の中には収税官吏のこのような違法な権力行使が永年にわたつて続いているので、それに馴らされている者があり、あるいは不当とわかつていても、それに楯ついたりすれば、重い更正決定となつてしつべ返しを喰うことがわかつているのでつい沈黙することになり、それが当り前のようになつているところに問題があつた。不当な更正決定であつても、それを取消させるについては、金銭的にも労力的にも多大の負担がかかつてくる。この心労はやられる身になつてみなければ容易にわかるものではない。裁判で勝つてみたところで、もともとであり、精神的、物質的な損害は取り返すことができないのである。であるから税務権力は国民にとつては脅怖の的である。その権力を背負つた人間が目前にいて執拗にせまられれば、大方の納税者は威迫を感ぜざるをえないのである。
調査不協力に対する処罰が、協力を間接強制することは勿論であるが、課税権の乱用は、はるかに大きな脅威となつて納税者の上にのしかかつてきているのである。税務権力は、明文上の罰則は勿論のこと、このような威怖心を意識的に運用して質問権査権の行使を事実上の強制調査にかえさせるように下僚を指導し、それが現実となつて現れたのが、右の小沢証言である。
3 任意調査であるべき質問権査権の行使を事実上の強制調査ならしめているもう一つの基盤は、税務権力が納税者たる国民を一般に脱税者視しており、現実にそのように扱つていることである。多くの国民の中には意識的な逋脱犯もいるであろう。だからといつて低所得者に苛酷な現行税制の重圧の下で、いくらかでもその重味を軽くしようとして合法的な節税に努めている納税者を同一視するのは誤つているし、況や計算方法その他で過つて過小申告をした国民に脱税者視することは論外である。大企業には租税特別措置法その他によつて税法上の優遇をし、一方勤労者に対しては仮借なく税を取りたてていく税務権力の眼には多くの国民が脱税者に見えてくるのである。
このような納税者観が税務調査の態様の上に具体的にあらわれているのである。例えば、事前通知の問題である。税務権力が国民に税務について協力を求めるという姿勢であつたならば、事前通知を行い、調査日を予めきめておいて、納税者の迷惑にならず、また十分な時間をとつておけるようにし、調査項目、調査方法を知らしておいて、資料をそろえ、質問にこたえられる者に立合つてもらい、十分な調査協力をうけることができるのである。しかしながら現実の調査のやり方は、予め納税者に対して不意打ち調査をかければ、納税者が質問にあわててポロを出し、工作をほどこす暇がないだろうという狙いで、事前通知を出さずに、突然に来訪するのである。これは納税者を意識的な脱税者の不信の目をもつてながめ、これを取りおさえ、あばき立てるという構えであつて、納税者に調査に協力を求める姿勢ではない。このような納税者観を前提にしているので、相手の協力をまつのでなく、敵対者として威迫を加え心理的に納税者を圧倒して無理にも権力に都合のよい資料をあつめようとする調査になるのである。これを可能にする客観的な条件、てこの役割をするのが課税権の乱用としての更正決定の処分の運用である。現行税法の調査は、不協力に対する処罰という心理的な圧迫、間接強制をともなうとはいえ、納税者の協力という心理的状態を前提にして調査が可能になるという建前をとつている。しかし、現実に税務権力が行つている調査は、これを無視し課税権を武器にして差別待遇進んでは無法な更正決定をほのめかし、あるいは明言して納税者を威迫して、抵抗不能の状態におとしいれて、強制的な調査を行うのである。
小数の意識的な逋脱犯に対しては国税犯則取締法を運用し、裁判官の発する令状によつて強制調査を行うべきである。多数の善良な納税者を法の名の下に威迫し、司法的控制をのがれて、名目上の任意調査ということで、強制調査にひとしい、あるいはそれ以上の効果を軽便に挙げようとする税務権力の所得税法あるいは法人税法の調査の現実の態様は、法の規定が解釈上憲法第三五条及び第三八条に違反しないとしても、現実の運用は解釈上許容しうる範囲を超えているのであるから、適用上憲法違反といわなければならない。
(二) 本件における収税官吏の違憲の権力行使
1 原判決はつぎのように認定している。
「昭和三八年五月ころ当時の国税庁長官から各国税局長あて民商会員に対する税務調査を徹底的に行うようにとの趣旨の通達がなされ、これにもとづいて東京国税局長からそのころ管内の各税務署長あてに同旨の通達がなされたこと、東京国税局では右通達の趣旨にのつとり管内各税務署長に対し民商会員に対する税務調査を徹底するため従来とかく調査の妨害等を生ずる原因となつた民商事務局員の立会をさせないことや事前通知をしないことを指示し、更に同局の職員数名を川崎税務署等に応援のため派遣したこと、同年九月上旬ころ同税務署職員による川崎民商会員に対する税務調査が行われた」
そして収税官吏小沢二郎による福岡和彦に対する調査もその一環であるとしている。
この判示によつても、税務当局がこれら一連の調査にあたつて納税者に調査に協力を求める態度でなかつたことが明らかにされている。「調査を徹底的に行う」というが、これが強制調査であれば、この場合そのような手段をとることの当否は別として税務当局の態度として首肯できないものではない。しかし、旧所得税法六三条による任意調査を「徹底的にやる」とはどういうことであるか。このような態度はあくまで調査対象者である納税者の協力意思にまつという任意調査の本質と矛盾するものである。税務当局は納税者の心意なぞはかまつていられない、しやにむに彼らにとつて必要と思われる資料を収集していこうという決意を表明したものであり、このような無理な調査は必然的に納税者の抵抗をよぶことを予想して国税局員を税務署に派遣して強制的な調査の態勢をとり、また現実にそのような調査が行われたのである。要するに納税者に調査に協力するかしないかの選択の自由を認めない、調査を強行し、質問に対する応答を強要し、相手の心意をふみにじつて検査を「徹底的にやる」ことを決意し実行したのである。このような強制的調査は旧所得税法第六三条の調査の範囲を甚しく逸脱するものであり、このような調査をも同条が包含するというのであれば同条は憲法第三五条、第三八条に明白に違反といわなければならない。このように本件を含む川崎民商会員に対する一連の調査と称する税務権力の行使は、憲法の右条文に違反する行為である。
2 右の違憲違法な権力行使を本件に即して考察しよう。原判決は、昭和三八年九月一一日即ち「第一の日は最初は記帳は妻がやつているから帳簿はどこにあるかわからないと答え、これに対し小沢から伝票だけでもいいから見せてもらいたいといわれると黙つてしまい、これに応じなかつた」とし、同年同月一七日即ち「第二の日は民商を通じなければ見せられないと答えるだけで同様これに応じなかつたことが認められる」と判示し、納税者本人である福岡和彦が調査協力を拒否していたことを判示している。このような場合原判決の考えにしたがつても「同人(即ち福岡本人)が調査を拒否するならば被告人が調査を妨げる余地はないのである。」小沢ら収税官吏としては旧所得税法第六三条の調査であつたとすれば、納税者の協力がえられなかつたのであるから、出直すか、あるいは同第七〇条の適用を求めて捜査官憲に同人を告発するかしかなつたのである。それを彼らはその場に居据り、執拗に福岡本人にせまつて協力を強要して、その業務の遂行をさまたげたのである。このような行為を合法ならしめ、あるいは妥当なものとする権限はどこにもない。しかも第一日については福岡本人はその一審証言の中でいつているように「とにかくうちのやつもいないし帳面がどこにあるのかわからないから今日は帰つていただきます」と退去を求めているのである。このことが被告人がくる前から福岡本人の口から出ていたことは被告人より先着者である西森猛証人が原審において、福岡さんは帰つてくれということを言つていましたか
ええ、また妻のいるときに出直してくれということを言つています
と明言しているとおりである。
第二日の場合でも福岡本人は当日夫妻とも仕事にかかつており、そこに来た小沢らに対して
それでどういう話が出たんですか
結局ニスを塗つてすぐ納めなくちやなりませんですから「忙しいから又この次に来ていたゞきたい」とこういうふうに言いました
と証言している。この仕事が緊急であり、福岡にとつて重要な仕事であつたことは原審証人鈴木俊夫によつて明確かつ詳細にのべられている。それにもかかわらず小沢らが帰らず神経を集中しなければならない仕事の最中においてたえず話しかけ業務を妨害していたので同証人がたまりかねて彼らを追い出したことが証言されている。
小沢らの右両日の行為は旧所得税法第六三条の調査の範囲を著しく逸脱し、憲法第三五条が禁止する令状なしの侵入行為であり捜査行為であり、また同第三八条の禁ずる供述の強要である。
以上
○昭和四九年(あ)第一〇三二号
被告人 平山忠一
弁護人篠原義仁の上告趣意(昭和四九年七月一一日付)
第一点 憲法第一一条、第一三条、第一四条、第二一条、第三一条、第三二条違反について
一、本件訴追の違憲性を無視し、被告人を有罪とした原判決には、憲法第一一条、第一三条、第一四条、第二一条、第三一条、第三二条の各違反がある。
すなわち、本件が民主商工会並びに被告人に対する弾圧であり、従つて、前記条文に反する所以を以下において明らかにする。
(一) 民商の闘いと税務当局の弾圧
1 第二次大戦後、全国各地において、敗戦のつめあとが残された。国民の多くは家を失い、職を失い、生活の糧を失つて、路頭に迷つていた。国民は生きるために、あらゆる努力をし、必死になつていた。
敗戦後の政府は、表面上は新憲法のもとで、民主々義的な政治を行なうかのようによそおつていたが、現実には、「復興のため」と称して戦前にはみられなかつたような大衆課税を押しつけた。しかもその徴収は苛酷を極めた。滞納処分のための公売が連日行なわれ、トラツクで、その動産を集めてまわつたため、「トラツク徴税」として、国民の恐怖のまととなつた。零細業者は、懸命になつて商売をしても、一家を養うのが精一杯であつた。彼らには、到底税金を支払うだけの余裕はなかつた。インフレで物価はどんどん上り、仕入れやその他の経費のやりくりに追われている業者に対しても容赦のない課税、徴収がくり返された。業者は、自衛に立ち上がらざるを得なくなつた。
資本力のない業者は、自らの生活と営業を守るために、一人一人で努力していただけでは政府や大資本に押しつぶされてしまうことを知つた。そこで、全国各地において物資の一括購入、金融、税金問題などにつき、業者などが団結して、行動する組織をつくつた。それらは生活擁護同盟とか、適正納税期成同盟という形で発足した。そしてこれらは次第に商工業者を中心とする団体として形態をとり始め、発展して、民主商工会となつた。昭和二六年にはその連合体として全国商工団体連合会(全商連)が結成されるに至つた。
全商連は、その結成以来一貫して業者の営業と生活を守るために、様々な活動を展開してきた。
2 零細中小業者に対しては、このような過酷な税制を押しつける一方、政府は、大資本に対しては、法制上も税務行政の制度上もきわめて優遇し、大資本本位の税制を一貫して継続してきた。
その体質は、戦後から今日に至るまで、何ら変更されていない。このことは、最近における国会論議でも明白に指摘されているところである。
昭和四九年一月三〇日付新聞は各紙一斉に矢野公明党書記長による大会社の脱税の問題を大きく報導した。
国税庁は、矢野書記長指摘の脱税問題を認め、一方大阪国税局は、商社である、丸紅、トーメンを摘発した。しかし、大阪国税局は「両社を法人税違反で告発しない」との方針を明らかにした。その理由は、摘発はしても、犯罪行為者の特定と立証が困難なためというにあつた。かくして大会社の脱税は、国税局により、何ら問題に付されることなく処理されたのである。
「くやしいが、大法人の脱税は見逃されている。これが結果として、大法人優遇につながる」と法体系の矛盾に税務関係者も歯ぎしりしている(同日付朝日新聞)」
末端の税務関係者も歯ぎしりするような大独占への優遇措置は、戦後一貫としてとられつづけ、一方、中小零細業者に対しては、税制最も苛酷な対策が維持されているのである。
3 税金の面では、全商連は、税制の民主化を要求してきた。
業者に対する税金は、重く、複雑で、非常に不公平なものである。そこで、全商連は業者に対する重税を適正なものにしてほしいと一貫して、叫び続けてきたのである。例えば事業税の減免運動や、控除制度の要求、自家労賃の問題、大企業への免税の撤廃などがそれである。一方において、現実の課税や、徴収にあたつては、納税者の諸権利をふみにじり、押しつけ課税、フアツシヨ的徴収が行なわれている。事業所得には、自主申告権が認められ、申告納税制度をとつておりながら、国税当局はこの申告権を侵害して、違法な調査や、課税を強行している。そこで戦後、各地で、民商と税務署との間でこの問題をめぐり紛争が生じた。こうしたトラブルは、例外なく、税務署側の一方的なやり方が原因となつている。ところが政府、国税当局は、この正当な民商の要求を敵視し、弾圧をくり返しているのである。
政府は民商の税制、税務行政の民主化の要求に対し「反税活動」と名づけた。そして、民商に対し「納税非協力団体」又は「反税団体」とのレツテルを貼つた。彼らにとつて、適正、公平な課税を要求することは、反税であるというのである。
このような考え方が成り立つためには、現在の税制及び、税務行政が最も合理的でかつ適正公平でなければならない。しかし、実際には全く逆である。現在の税制、税務行政など矛盾だらけのものはない。従つて、政府や、国税当局が、民商に対し「反税団体」「反税行動」のレツテルを貼つて弾圧するのは、まるで暴力団が市民を恐喝し、その恐喝に抵抗する市民に対して逆に暴力団呼ばわりするようなものである。
そこには全く客観的な正当性はない。
4 元来税金は、国家が、必要な財源を確保するために、国民からの金を徴収するものである。したがつて、国民と国家との間にはとるものと、とられるものとしての対立は避けられない。かつて、封建制度のもとでは、国民の意志に拘りなく一方的に徴税を行なつた。そのため、血みどろの闘いがくり返された。しかし近代国家においては、承諾課税の原則が確立し、それは、租税法主義として定着した。租税法律主義の真髓は課税が国民の意思を反映した民主的なものでなければならない、ということにある。
申告納税制度も、このような観点から把握されなければならない。国家権力は申告権を侵害するような調査をしたり、納税者の意思を無視して、一方的に課税してはならないのである。しかし、申告納税制度がとり入れられて二〇年以上を経た今日もなお、政府、国税当局は納税者の申告権を否定し、侵害し続けている。
民商は、申告納税制度のもとにおける自主申告権を基本として、税務当局のこれに対する侵害を批判し、抗議してきた。民商のこのような方針及び活動は多くの業者の信頼を得て、広範な人々を組織するに至つた。
とくに、昭和三六年から、三八年にかけて、民商は、飛躍的に拡大した。民商が大きくなり、強くなるに従つて、全国民の間に、税制、税務行政に関する批判、要求が強まつた。マスコミも、この問題を大きくとり上げるようになつた。
昭和三七年に行なわれた国税通則法の立法に反対する闘争において、全商連は大きな力を発揮し、政府自民党の目的は大きく後退した。
5 そこで、政府、自民党は、昭和三八年以降民商に対する弾圧を一層強化する方針を打ち出した。
昭和三八年五月、国税庁長官木村秀弘は、長官通達を出し、全国的に民商弾圧を指示した。この通達は国税局に対し、管内の民商会員に対する調査を徹底的に行なうようにとの指示であるが、その目的は、民商の組織を破壊することにあつた。民商の組織破壊を実行するために当局は、国税庁内部の反対勢力である、全国税労組を弾圧し、これを破壊した。ついで、いわゆる納税協力団とされている青色申告会、法人会、税理士会などに協力申し入れを行ない、民商攻撃に参加することを取付けた。このようにして、内部整備及び、一般業者からの民商の孤立化を準したうえで、民商弾圧にのり出したのである。昭和三八年当時の木村国税長官は、「三年で民商をつぶす」と公言し、この年から全国的規模で民商に対する露骨な攻撃をかけてきた。
その攻撃の手口は次のようなものである。
第一に、従来の民商と、税務署との間に確立していた慣行の破壊
第二に、質問検査権を濫用して行なう会員に対する差別的調査
第三に、各種文書並びに口頭によるデマ、中傷
第四に、臨店又は呼出、或いは電話による脱会強要
第五に、法人会、青色申告会、税理士会等を使つてのデマ宣伝
第六に、挑発的調査を利用して刑事事件をつくり上げ、逮捕、捜索、任意出頭などにより会員を直接弾圧し、
第七に、更正、決定などにより経済的に圧迫し、
第八に、マスコミを通じて、反税団体であるとのPRを行なつた。
これらの方法をフルに活用して民商会員の動揺をはかり、脱会させ、組織を破壊したのである。
そして、昭和三八年から三九年にかけて、福岡、大阪、岐阜、愛知、新潟、神奈川、東京の中野において、さまざまな手口が使われて民商弾圧が行なわれた。
6 昭和三八年五月木村国税庁長官名による通達が出された。この時期を契機に各地で、この通達をうけて、民商弾圧の嵐が吹きあれた。川崎では、同年九月二日に実行された。事前通告なしに一方的に民商会員の家に足をふみ入れ、民商の窓口を無視して「調査」に名をかりて、多人数による数次にわたる威嚇的な行動を開始した。民主的税制をめざす民商に対し、何らの理由もなしに「反税団体」のレツテルをはり、民商を社会的に孤立させるため、税金をむだ使いして、税務当局が異例のビラ全戸配布を行ない、さらに民商会員に数次にわたり、民商の中傷ビラを送りつけた。
木村国税庁長官の説明によれば、事前通知のない、無謀な「調査」を強行したのは、民商が反税団体だからということを重要な理由としている。
昭和三八年一二月一三日、第四五回国会参議院大蔵委員会の木村答弁を引用しよう。
(木村)「……具体的な実例は申し上げませんが、概括的に申して、この民商は、従来から、現在に至るまで、民商の会員の申告の水準というものが、一般の納税者の方々の申告水準に比べて異常に低いという点、あるいは、税務署の職員が調査にまいりました場合に、調査に対して悪質な妨害あるいはいやがらせ、調査の拒否等を行つた事実が、数えあげることができないくらいたくさんあるわけでございまして、私はそういう意味でこれが健全な納税者の集りということはできないと申し上げたのでございます。」
「私は、いま民主商工会の会員の申告水準が異常に低いということを申し上げたわけでございまして、私が、健全な納税者の団体と認められないと申し上げましたのは、原因は先ほど申し上げましたように、税務の調査に対する妨害、いやがらせ、あるいは拒否、その他数々の行為、あるいはそういう会員の行為を扇動する事務局と申しますが、民主商工会の事務局、あるいは東京にあります全商連の指導、そういうものを指摘して健全な納税団体とは、認められないと申し上げたわけでございます。」
しかし、この答弁ほど、事実に反するものはない。逆に、このような答弁しかできないところに、まさに、民商弾圧の意図がうかがえるのである。
また、原判決も、長官通達が出され、前提として、「従来民主商工会会長のうちの所得税確定申告の内容に過少申告等の疑いのある者等に対する所轄税務署の税務調査が不十分で中途半端に終ることが多く税務行政上問題があつた」と認定している。
さらに、原判決は「従来とかく調査の妨害等を生ずる原因となつた民商事務局員の立会をさせないことや、事前通知をしないこと」と認定し、調査における問題の発生が民商側の妨害に端を発していると決めつけている。
しかし、これもまた川崎における事実に反するものである。
さながら、当時川崎税務署第一所得税二課所得二係長であり、直接、民商との窓口折衝をしていた佐藤勇証人は次の如く証言しているのである。
問 それでは、川崎民主商工会の関係においては、あなたが、その窓口係長というような担当になつていたのではないんですか。
答 担当というわけではなく、いきおいそうなつたんではないかと私は思います。
問 それは、川崎税務署の幹部の方の命令ということで、そういう事務をあげたが、取扱つておられたということではないんですか。
答 指示によつてやつたわけです。
このように、川崎税務署は民商に対する窓口担当として、佐藤勇をあたらせ、一方、佐藤証言にある通り、民商も当時の平柳治敏事務局長以下の事務局が、窓口となつて、集団自主申告を行ない、その間の資料つき合せ、作業等も行なつてきたものである。また、その結果、調査を要する場合にも事前に民商の窓口連絡をとりあつてきたのである。
問 それから、所得の調査で普通の場合においては、調査を担当される税務署の方とそれから民商の事務局員との間で、その調査の対象となつておる会員の人の都合を斟酌してそれじや調査の日をいつにしましようというような日取りの取決めなどもあらかじめ行なつた上で調査をしておられたのではないでしようか。
答 日程を変更したこともあつたと記憶しております。
つまり、税務署と民商の窓口折衝で日程について事前調整をしていたのである。
その結果の調査はどのように行なわれたのであろうか。
問 こういう辻だとか、平柳とか、あるいはそれ以外の民商の事務局員が、川崎税務署が民商の会員に対する所得税の調査をするようなときに、その説明をするとかいうようなことで、同席していたということがあつたのではないんですか。
答 ありました。
そして、
問 あなたが退職されるまでの間において、この川崎民商の事務局の人が税務署側とそういう話しをする際において、あるいは調査するその場所において何か特別乱暴に立会つたというような具体的な場合に出くわしたことがありませんか。
答 ないです。
問 あなたが在職中において、民商の会員に対する所得の調査の際に先ほど言われたように事務局の者が同席して説明をするとかいうようなことがあつたと言われたんだが、そういう再調査を拒否するとか、妨害するとかいつたようなことはなかつたわけですね。
答 はい。
問 あなたの場合ではなしに他の係りの方の場合においても、民商の会員に対する調査が妨害されてできなかつたというような話を、川崎税務署管内において聞いたことがありますか。
答 ありません。
と証言し、さらに、
問 今から二年ぐらい前になりますが、三七年の八月中原商工会の事務所の二階で他の税務署の係員とあなたが一緒にそこに行かれて民商会員の所得税の調査をなすつたこともあつたのではないんですか。
答 あつたと思います。
ということで、民商の事務所でさえも、調査は行なわれたのであり、その調査がきわめて友好的であつたことを物語るものである。それどころか、通常の税務問題においても民商と税務署はきわめて友好を深めていたのである。
問 それでは、三七年の八月ごろ、川崎民商の婦人部というのがあつて、そこでの税金問題の懇談会が新丸子の丸子温泉であつてあなたが小口課長、それから小宮第二課長と一緒に出席したことがありますか。
答 あります。
問 そこでは、いろいろの税金問題についての話し合いがあつたのですね。
答 はい。
問 それは、お茶でも出すとかいうようなことで始めから終りまで、話は終つたんではないんですか。
答 はい。
それほどまでに、調査や日常的な活動において、税務署と民商は友好関係を保つていたのであり、従来は何ら税務署と民商間ではトラブルは発生していなかつたのである。それどころか、前記の婦人部懇談会のほかにも、税務署員和田雪夫講師による申告の講習会を開き、さらには、昭和三五年には、納税貯蓄組合として成績が優秀で、税務署に対する協力が大であるとして「感謝状」さえもらつているのである(以上の事実は、佐藤証人のみならず、小宮証人、平柳証人においても確認しうるところである)。
本件福岡宅においても、従前は民商の平柳事務局長が立つて調査の質問に適確にこたえ、きわめてスムーズに整然と調査を終了してきた経験があるのである(福岡和彦証言)。
従つて、当時の川崎の民商会員は約一、〇〇〇名いたのであるが、更正決定はただの一件もなかつたのである。
それが、川崎において突如として、破られたのは、昭和三十八年五月の国税庁長官通達をうけて、東京から川崎へ税務署員を動員して、一方的な臨店に及んだ、同年九月一一日以降であつた。それ以降、従来通り、民商の窓口を通し、事前の通知を行ない、民商事務員の立会いを求める、この当然の要求を行なう民商と、従来の健全な関係を無視して権力をカサに力づくで押しまくろうとする税務署との間に、大きな問題が発生したのである。この前後の経過からわかるようにそれは、従前のやり方を無視した税務署の無謀な行動によつて、ひき起こされたものであつた。
民商の事務局員の多勢の立会いと調査不能があつて、民商の徹底的調査と民商敵視政策が出てきたのではない。一方的なある政治的意図をもつた「調査」の名に値いしないいやがらせと、営業妨害の行為があつて、それを守り、民主的納税制度を守ろうとする取組みがはじまつたのである。この木村答弁は本件による税務署側証人が言う両者の従前の健全な関係も無視した全くの暴言というほかない。
「はじめに、弾圧ありき」であり、その後の一連の「調査」はまさに「調査」に名をかりた弾圧行動そのものであつたのである。
(木村)「従来の例を見ますと、事前に知らせた場合には、税務の調査の職員が、その当該納税者の宅に参りますというと、民商の事務局員、または、会員が一〇人、多いときになると二〇人くらい集まつてきまして……したがつて、民商会員宅に調査に参りますときには、原則として事前に知らしておりません。」
「(民商以外のほかの人には、事前に連絡をするのかという問に対し)これは、場合、場合に応じて違います。連絡をするのを原則にいたしておりますけれども……」
この問答に多言は要しまい。従来の民商と税務署との関係は、前述の通りである。また、木村長官は本件福岡方の平柳事務局員の立合いの調査を何と思うのであろうか。この答弁は茶番というしかない。
この事件を頂点とする一連の民商弾圧政策は、従来の慣行を無視して、全く一方的に強行された。
川崎では、税務署との間で、従来行なわれてきた約束、慣行について、たえず、これをあい確認しあつてきた。現に昭和三八年一一月一八日においても、川崎、中原両民主商工会は、川崎税務署との間に確認を行なつた。
その内容は、<1>突然調査は、営業にさしつかえるので、調査をスムーズに行なえるよう事前通知をする、<2>確定申告は尊重して単なる資料扱いにしない、<3>更正決定、事後調査は行わない精神でそのために商工会と税務署は窓口を通じて話しあう等のものであつた。
これらの確認は、従来行なわれてきたし、これを確認した三月以降も何ら問題なく実行に移されてきたのである。木村長官自身も実質上、このことを認めているのである。
「(木村禧八郎)この突然調査によつて……これはまあ、多くは商人ですわね。商人が多いのですよね。いろいろな商売上、迷惑をこおむる。それからまた、家族のうちでいろいろ病人があつたり、いろいろ都合があると思うのですよ。そういうとき、やはり原則としては、納税者との間に事前にこれから調査に行きますという形でやるのが正しいのではないですか。」
「(木村長官)それは仰せのとおりだと思います。原則としては、やはり事前にお知らせをして、納税者の方の都合を伺つてそれから参るのが、これは常識上、当然そうあるべきだと思います。……
なお、突然伺つても、商売上何らかの差しつかえがある。あるいは、病人があつてきようは手が省けないというようなときには、もちろんこれは、その実情に応じて調査を打ち切つて帰つております。」
「木村禧八郎)この民商会の人に限つて、ほかの人と差別して、区別して、事前に連絡をしないで、突然調査をやる、ということでございますが、まあそういうことになつた経緯ですね。これは、いま始つたことじやなく、いろいろ経緯があつてそういうことになつたと思うのですよ。
それでもう一つ伺いますが、この湘南商工会と藤沢税務署、それから戸塚税務署との間に、数年にわたりまして、約束と慣行があつたということを聞いておるのですが、その約束慣行は、第一は税務一切は、湘南商工会と話し合つて解決する。それから、第二は、調査は事前に連絡し突然調査はしない。第三は、反面調査は例外的にのみやる。こういう約束と慣行があつたと聞いておるのですが、それは事実ですか。」
「(木村長官)湘南商工会のほうで、そういう主張をされておることは、私も存じておりますが、税務署側としては、そういう税法に沿わない違法なり、お約束をしたことはございません。」
「(木村禧八郎)しかし、それは、いままで、そういう慣行があつたんじやないですか。そうでなければ、湘南商工会の場合は、九月一一日に突然調査をやりだしたというのですが、その前は、そんなに粉争が起つていなかつたんじやないですか。こういう大体の慣行があつて、話し合いがあつて、湘南商工会を通じて話し合いをして、そして調査をやつてきたんじやないですか。ところが、それはちやんと文書に書いて判こを押してそういう約束はしなかつたかもしれませんが、しかし、大体話し合いで、そういう慣行があつたので、従来はスムーズに行つておつたところが、さつき木村長官がお話しましたように、いつごろからそういう判定をされたのか存じませんが、民主商工会というのは、健全なる納税団体ではない、そういう立場に立つて、そして一律的にどこでも従来は事前に連絡しておつたのが、今度それをやめてしまつて、そして突然調査をやりだした。従来は連絡しておつたのがそれを今度突然調査に切りかえた、そういうことになつたのではないですか。」
「(木村長官)ただいまも申し上げましたように、そういうお約束をしたことはございません。ただ、税務署の、これは必ずしも同じ人が同じポストにおるわけではありませんので、あるいは、お知らせした時代があつたかもしれません。それは、私は存じませんが、事実としてお知らせした時代があつたかもしれません。」
かくして、再度の追及のなかで、シラを切つていた木村長官自身、実質上、慣行の存在を認めたのである。
この湘南民主商工会は、川崎、中原両民主商工会同様神奈川県下に結集する民商であり、これらは、十分な討議に基づいて、同様の要求と行動を行なつていた。それにもかかわらず、税務署の暴挙は健全な慣行を破壊してまで、強行された。木村長官の言葉を借りても、事前通知するのが常識なのに、民商会員には、あえて差別し、しかも、慣行破壊をあえてして強行されたのである。
かくみてくれば、税務権力の「調査」なるものが、全くの組織破壊行動であつたことは明白である。
(二) そうだとすれば、何のために民商が敵視され、弾圧されたのか、その理由が明らかにされなければならない。その理由は、全商連(民商の全国組織)が総会で会員倍加運動を決定し、その実践が着実に行なわれるなかで、会員数が増大したため、このまま、税務権力が民商活動を放置するならば、全国的に平等かつ民主的な税制を要求する声がまきおこり、大独占優先の税制を維持せんとする権力にとつて無視しえない力になりうることを感じとつたがために、又昭和三八年六月に行なわれた地方選挙において、民商推選の地方議員当選者が、一挙に増え、従つて、民商がひとつの大きな政治的な組織としての活動を展開することを嫌うがために、全く理不尽に攻撃が開始されたのであつた。
これら弾圧の意図を象徴的にあらわすものとしては、前記のように新聞折り込みビラを十万枚配布するとか、税務署が民商会員とみなしたもの、全員に数回にわたり民商の中傷文書を郵送したとかがあげられる。また、川崎税務署では民商事務局員の立入を禁止し、庁舎への出入りさえ妨害し、あまつさえ、その旨の掲示をするに至つた。中野税務署では、民商へのいやがらせのプラカードを作り、民商の庁舎内立入りを妨害するいわゆるプラカード事件をつくり出した。(証人小宮竜雄も以上のことを認めている。)
週刊朝日(昭和三九年二月二八日号)の記事によれば、関東信越国税局安井誠直税部長は次のように語つたとのことである。
「法秩序を維持するために、ソロバンを度外視して調査を続けている。新潟地区では昨年の七月から一二月まで、一般調査は、いつさいやめて、民商調査だけおこなつた」
このような金にいとめをつけぬ露骨な攻撃を公然といい放つていたのである。昭和三八年九月六日には、川崎税務署長は、一方的な記者会見を行ない「商工会員の調査の結果、五割の過少申告が発見された」と発表した。
しかし、当の本人には、従来の慣行に従つた事前の通知もしなかつたし、また、その後何か月たつても過少申告にかかるまともな通知はしなかつた。
この例にあるように、税務権力は、たくみな、マスコミ操作による宣伝を展開した。
税務署は、民商鈴木事件において、自らことを起すことを予定し、予め、マス・コミカメラマンを同行させた。本件平山事件でも次に述べるように、たくみに、マス・コミを利用した。いずれにしても税務権力の民商敵視政策はいたるところで展開されたのである。
(三) 平山「事件」は、一連の民商への弾圧対策、個々の民商会員への威嚇及び、執拗ないやがらせ行動のなかで作られたもので、その実態は「調査」に名をかりた民商破壊工作の何ものでもない。
平山事件は、このような民商弾圧のまつただなかで、税務権力により作りあげられた弾圧事件である。
1 税務権力は、当初「事件」を暴力事件としてデツチあげる意向であつた。
すなわち、本件を最初に報導した新聞各紙は、税務権力の一方的な言い分を中心にしてこの「事件」を暴力事件として描き出した。税務権力は、鈴木証人が、従業員の立場から、仕事の邪魔に我慢しきれず、小沢二郎に対し、玄関外に出ることを求めた行動に注目し、これを「暴力事件」として描き出そうとした。
本件起訴(昭和三八年一二月二七日)に先立つ昭和三八年一二月一三日、参議院大蔵委員会において、木村国税庁長官は次のとおり答弁している。
「それから、任意調査とは申しましても、先ほど来、申し上げましたように税務の調査に対する妨害、あるいは拒否等が行なわれ、中野、川崎などにおきましては、それが行き過ぎておる。たとえば、中野では脅迫をする。あるいは、川崎におきましては、実力をもつて追い出す、押し出すというような事態にまで発展する例がしばしばございます。中野、川崎におきましては、先程委員から御指摘のように逮捕されております。その他の税務署におきましても、そういう暴力行為等が予見される場合には、警察の援助と協力を求めなくてはなりません。」
ところで、木村長官は、この答弁に先立つ、昭和三八年一〇月、自らが、足を川崎に運んで事情聴取のうえ、この答弁をなしているのであり、書面処理による単純な取扱いでなく、慎重処理のうえの答弁である。
いわゆる民商鈴木清太郎事件における清水豊三証人の証言から、このことは明らかである(清水証人は、平山事件鈴木事件が作りあげられた当時の川崎税務署長である)。
問 木村長官が川崎税務署へ来ましたね。
答 はい。
問 それはいつですか。
答 昭和三八年一〇月です。
問 何のため来たのですか。
答 民商の調査状況の視察です。
かくして、木村長官は、この「事件」について、暴力事件として「事件」を作りあげ、警察権力の導入を正当化する論理を展開しているのである。同時に少くとも、昭和三八年一二月一三日段階では木村長官は税務署職員を「実力をもつて追い出す、押し出す」行為を具体的にとりあげ非難し、警察権力の導入を容認した。これは、昭和三八年九月一七日における鈴木従業員の行為をとりあげたものにほかならなかつた。
しかし、税務権力と警察権力の共同のもとで、これら権力の都合による何らかの理由の変更により「事件」は鈴木従業員の「追い出す、押し出す」という「実力行為」ではなく、民商事務局員平山に対する「事件」として、昭和三八年一二月二七日、修正のうえ、作りあげられた。彼らのいう暴力事件ではなく、事務局員の調査時の立会い排除のための事件として作り直された。彼らをして変更させた意図は何だつたのか。一方、鈴木清太郎事件は、昭和三八年一二月二八日……すなわち、平山事件の翌日!……まさに、彼らが望んだ暴力事件として起訴された。起訴内容は、被告人鈴木清太郎は昭和三八年一〇月三日、自宅店舗において、川崎税務署員収税吏小松正が被告人に対する昭和三七年度分所得税確定申告の更正調査のため、帳簿、書類などの検査をしようとするのに対し、大声で「だめだ、だめだ」「帰れ」「署長、副署長、総務課長、所得税課長の四つのがん首を揃えてこい」等と怒鳴りつけ、同人の左上膊部を掴んで戸外に引出そうとして引張り、もつて、右検査を拒んだものである。
というものであつた。
この二つの事件の結びつきを考えるにあたり、同年一〇月、川崎税務署長、清水豊三の証言によれば、木村国税庁長官は「(川崎の)民商の調査状況の視察」のために自ら川崎におもむいたという事実はきわめて重要である。
2 鈴木証人の言動こそが、税務権力と警察権力によつて、当初狙われたのであるが、これを理解するについて、次の決定を参考にする必要がある。
「……であるところ、所得税法二三四条一項の規定は、国税庁、国税局、または、税務署の調査権限を有する職員において、当該調査の目的、調査すべき事項、申請申告の体裁内容、帳簿等の記入保存状況、相手方の事業の形態等諸般の具体的事情にかんがみ、客観的な必要性があると判断される場合には、前記職権調査の一方法として同条一項各号規定の者に対し質問し、またはその事業に関する帳簿、書類その他当該調査事項に関連性を有する物件の検査を行なう権限を認めた趣旨であつて、この場合の質問検査の範囲、程度、時期、場所等実定法上特段の定めのない実施の細目については、右のいう質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において、社会通念上、相当な限度にとどまるかぎり、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられていると解すべく……」(最高裁三小決定昭和四八年七月一〇日、荒川民商広田事件)
この決定は、質問検査のため臨店するに際し、もしくは、臨店してからも、相手方の都合もよく考えて、質問検査を行なうか否かを決めるというきわめて、当然のことを示したものである。
また、税務権力においても、前記のとおり、木村禧八郎議員の質問に対し、木村長官自身が、「納税者の都合を伺つて、それから参る」「突然伺つても商売上何らかの差しつかえがある。あるいは、病人があつてきようは手が省けないというようなときにはもちろんそれはその実情に応じて調書を打ち切つて帰つております」と明言しているところでもある。
納税者側のこのような事情に対する配慮は質問検査が適法といえるために最少限守らなければならない要件である。
3 そこで、税務権力と警察権力が当初目をつけた鈴木俊夫の言動について、当日の仕事内容と関連して検討してみることにする。
この「事件」のあつた昭和三八年は自動車業界は日産、トヨタを中心として、高度経済成長政策下における花形産業として、高度の発達をとげている過程であり、新車、新車の連続で、モデルチエンジにたえず追われていた時代であつた。そのため、たえず車体、部品作りなどが新しく要求され、それを製造する部品製造機械も新型機から、新型機へと更新されていつた。
従つて、この新型機の型作りにもたえず、休みなく製造されなければならなかつた。しかも、激烈な競争であるため、モデルチエンジは、他社におくれをとることは許されず、納品時期は厳格であつた。福岡木工所では、この自動車のモデルチエンジのおおもとである部品製造の新型機の型作りを当時の主な仕事にしていた。そのため、納品時期はきわめてやかましく、逆に納品時期におくれ、元請先の信用を失うことは、零細企業にとつて致命的な問題であつた。同時に、不良品を作り、その技術について、信用を落すことは、いずれの元請につくにしても、致命的打撃になるところであつた。
ところで、当時の木工関係の代金請求の締めは「二〇日締め」であり、代金の支払は一か月後の手形振出であつた。
そこで、仕事が二〇日に問に合うか、翌二一日になつてしまうかは、わずか一日違いで支払関係では正味二か月の差となつてあらわれ、零細企業の資金ぐりには、大きな影響の及ぶものである。そのため、零細企業である福岡木工所では毎月一〇日すぎから、二〇日までの仕事はとりわけ仕事に精を出さざるをえず、きわめて、忙がしい毎日が続くのである。
このような納品時期に追われ、一〇日すぎの忙がしいときに、鈴木証人は、自動車部品の新型機の型作りという、型作りのなかでは極めて精密な仕事でかつ型作りの作業工程のなかで一番致密な作業を要する「罫書き」の作業をしていた。右作業はきわめて精密な作業のため神経の集中が高度に要求されるものである。「罫書き」ひとつまちがえば、削りとる木型にあらわれ、それをもとにして作る新型機の失敗となり、そして部品の不良品を作り出すこととなる。
「罫書き」の線一本のひきまちがいは、少くとも数十万から一〇〇万円の単位の損害をひき起すのである。
その損害は、木工業者の責任として負担させられるのであり、その実損害と同時に、「信用の失墜」という致命傷をうける結果となる。つまり「罫書き」は決してし損んじてはならないのである。又、線一本のひきまちがいを事前に発見した場合は、当初の計算から検討をしなおさざるをえず、複雑な仕事であれば日単位の時間を浪費さざるを得ない。そのため、鈴木証人が異常に作業に集中していたのは、当然である。
それに対する税務署員の言動は、客観的にみても、当日の仕事の忙がしさは大変であり、そのことは税務署員自体一見して明らかなのに、そのうえ、第一日目、第二日目とも納税者である福岡において忙がしいから、後日ひまなときに出なおしてほしい旨告げられているのに、あえてこれを無視して、福岡方玄関に何らなすこともなくウロウロとしていたのである。この行為は、前記最高裁決定木村国税庁長官答弁からしても全く違法、不当なものであり、質問検査とは何ら関係のないものである。
いずれにしても、鈴木証人は、第二日目において、自己の仕事の眼前をウロついた行動、その後、被告人がかけつけて以後の税務署員と被告人とのやりとりにつき、自分の仕事の耶魔であると判断し、同人らの玄関からの退場を求めたのである。その際、手にしていた仕事用の鉄のきしを横にして押し出すようにしたのである。ただこれだけの言動をなしたにすぎなかつた。鈴木証人は、税務署員を暴力的に押し出したり追い出したりしたことは、全くない。
それにもかかわらず税務権力と警察権力は、この鈴木証人ら言動を口実にして鈴木証人を刑事被告人に仕立てあげようとしたのである。
このことは、鈴木証人の証言によつて明白である。すなわち、翌日の新聞では、福岡及び、民商側のもので、名前か実名で報導されたのは、鈴木俊夫証人ひとりであり、また新聞記者が現実に鈴木証人に対し、本人を確認のうえ、取材活動を行なつているのである。さらに、捜査当局自体、不当にも鈴木証人を被疑者として取調べを行なつている。
この事実経過から明らかのように警察権力が狙いを定めていたのは鈴木証人の言動であり、平山被告の言動は一切問題にされていなかつたのである。
このことは、鈴木証人が証言している新聞以外の他の新聞等からも裏付けられる。
昭和三八年一〇月一二日付「納税通信」は次のように伝えている。
「税務行政に警察が介入、質問拒否容疑で単独捜査!!わが国では初のケース」という見出しで大々的に報道されている。
内容は「臨港警察署が所得税法違反で家宅捜査を行なつた直後の原因は九月一七日の福岡木型製作所にたいする所得税調査のさい、川崎税務署所得税課員が、同製作所の従業員S氏に調査の妨害(本紙既報)をされ、これが公務執行妨害に問われたためとみられている」とし、清水川崎税務署長の談話として「福岡木型の調査のさい、暴行があつたのは事実であり、その事実は臨港警察署に連絡してあるが、告訴したことはない。ということを載せている。なお、本件は、税務署に何の連絡もなしに、警察の独断で捜査が開始したが、そのこととの関連では、神奈川県警本部警備課は「所得税法違反で、警察が単独で動いたのは、全国初のケースであるかもしれないが、公務執行妨害の事実があると連絡を受けていれば、警察が独自の立場で捜査をするのは、普通のケースであり、関係者と連絡をとらなければならないということはない」と伝えている。
このように当初は、九月一七日(第二日目)における、……九月一一日、(第一日目)については、全く問題にされておらず……鈴木証人の言動が問題とされ、しかも、それは、所得税法違反としてではなく、公務執行妨害という通常刑事々件として、問題とされていたのである。
このような一連の警察権力の捜査は、その後、税務権力によつて追認された。
昭和三八年一〇月一九日付「納税通信」は、植松直税部長見解として「警察介入は合法的」という記事を掲載している。
ともあれ、それが、肉屋経営の鈴木清太郎については、暴力事件として起訴内容をつくり、本件事実関係については、事務局員平山忠一に対する「平山事件」として作り直された。
民商事務局員の調査時における立会い禁止のため「平山事件」が作りあげられたのは、まぎれもない事実である。
いずれにしても、これら一連の経過が示すことは、この「平山事件」が作りあげられた、民商弾圧の狙いをもつたきわめて悪質な権力犯罪であることは、もはや明白である。
二、本件平山事件は、税務権力と警察権力の合作として事実をゆがめ作りあげられたことは以上述べた一連の事実関係からしてすでに明白である。しかもこの事件は、民商に対する数多くの脱会工作を進めるなかで作り出されたのであり、まさに事件の本質は、民商を破壊することを目的とした「調査」に名をかりた民商破壊工作であり、その曲型が民商の脱会工作である。
従つて、ここで事件の本質である民商破壊工作のうち脱会工作の実情を検討してみる。
1 税務権力は調査に名をかりた執拗ないやがらせ行為、圧力行動をとるなかで、民商の脱会工作をさまざまな形で実行した。
塩野谷きよ会員に対しては、当初一人の税務署員が臨店し、その後三日おき位に二回続けて二人組みで臨店し、「民商を脱会すれば調査をしない、脱会した方がよい」と露骨に脱会を行なつた。
右臨店については、三回とも何ら帳簿類の調査を行なわなかつた。しかし、それでも税務権力はこれを「調査」と強弁しているのである。
帳簿の調査を行わない調査がどこにあるのか、脱会工作目的の臨店であることは明らかである。同会員は最終日には川崎税務署に赴き、同署課長と会うなかで「民商をやめる」ことを決め、脱会届を税務署に提出して帰つた。そののち民商に同様の脱会届を送付した。
自己が自主的に参加している組織の脱会届であるにもかかわらずまず最初に税務署に提出し、のち民商に送りつける、そして税務署はこれを異議なく受けとつているのである。
自己が指導した脱会工作を確認するための手続として行われているのであり、これが脱会工作、組織破壊でなくて何であろうか。
この脱会届を税務書に提出させた問題について木村長官はぬけぬけと次のように答えている(前記国会議事録より)。「(鈴木市蔵)……民主商工会の脱会届を税務署に出しておるというようなことが会員等から直接資料として提出されているわけです。それだけではないのです。この民商にいつ入つたとか、民商をやめなさいとか、そういうことを個々の会員に向つてねらい撃ちに話をしてくるという事実は全国的にそれこそ枚挙に暇がないくらい多数あるんです。だからいま長官は脱会をすすめたとか、脱会をすれば税の問題については相談に応ずると言つたことはないだろうとおつしやつた。これは水かけ論になる危険があるので、ここでははつきりとその事実があるかないか、双方にわたつて調査をしてもらいたい。このことについてどうでしよう。」
「(木村長官)脱会届を税務署に出されたということは聞いております、その事実はございます、しかしながらそれをお出しくださいと税務署で脱会届けを持つて下さればどうこうしましようということを申しあげることはございません。それから、あなたはいつ民主商工会に入会されましたか、あるいは現在会員ですか、ということはお尋ねをしております。」
川崎においても脱会工作が執拗に行われ「脱会届」が税務署に届けられたのであるが、この間の事情を小宮竜雄証人は証言している。
問 昭和三八年九月以降民商会員がお宅の方へ脱会届を出している者もありますね。
答 はい あります。
問 一部とはどの位か。
答 私が受け取つたのは葉書に書いたもの二通、ガリバン刷りのもの一通、その他あつたのは口頭によるものです。そしてそのすさまじい効果については
問 酒類販売業者で昭和三八年九月に民主商工会員であつたものはどの位いましたか。
答 酒の小売屋さんは四軒だつたと思います。
問 その人達は民商をやめたのではないのか。
答 四軒やめました。
といつた具合であつた。
前記週刊朝日には次のような記事が掲載されている。
安藤友雄新潟税務署長は、
「職員に会員の家庭を一軒ずつ訪問させて『民商は反税団体だ。脱会しろと強制はしないが加入しているのは好ましくないと思う』とはつきりいわせている」といつて、「特殊団体脱退者」なるフアイルを見せてくれた。それによると民商の脱会者は約六〇〇人、驚くべき戦果である。
さらに脱会者のアフターケアーと、こんご零細業者が民商に走らないようにと国税庁の指導のもとに、青色申告会、税理士会、商工会議所、中小企業相談所、税務署の五者が「税務指導協議会」というもをつくつた。月額五〇〇円から一、五〇〇円で記帳を代行しようというのである。
この記事の見出しは、「脱会工作のはげしい新潟」というのである。
さらにこの脱会強要を確実にするため前記のように脱会届を提出させ、ついには税務署自らが印刷した脱会届を用意したのである。ここまでくるとその弾圧の意図と脱会強要の事実は明白といわざるをえない。これら一連の事実は、誰れが見ても民商破壊行為であり、「調査」に名をかりた会員訪問は脱会工作の手段以外の何物でもないことを示している。
次に税務署員が脱会工作のため臨店し、次々と会員を脱会させていつた手口の例をいくつかあげてみることとする。
<1> 数次にわたる押しかけと多人数臨店による営業妨害。
石井きよ会員は女手で菓子店を経営していたが、民商に入会するや二人組の署員に臨店され、それが連日にわたるようになり、人数も三人、四人、五人、六人と増え、最後には八人もの署員が臨店し、狭い店先をわがもの顔で占拠するに至つた。営業の妨害であることは当然のことであるが、女一人の店に対してこれほどの威嚇的行動はない。
東田昌次会員(モーター修理業)に対しては、樋口、渡辺署員他のものが臨店し、すべて事前連絡なしに毎日矢つぎ早やに抜打ちにやつてきた。しかもその回数は、実に前後一三回に及ぶという気狂じみた回数であつた。調査理由は何ひとつ告げず、民商事務局員の立合いに対しても高圧的な態度に出て帰ることを強要し一三回も継続した。
このような回数は、来ること自体威嚇的言動である。
前記国会における木村弁答によれば、仕事が忙がしい時や病人がいるときは調査を打ち切つて来るとのべている。しかし民商関係ではどんなに忙しくても否、むしろその時を狙つて……本件福岡方の忙しさはその例である……臨店を継続したのである。
調査は「忙しければ打切る」というのであるから忙しくても継続するというのは自らこの臨店が調査どころか弾圧行為であつたことを自白するものである。
小西水道工業所は、水道工事の請負業であつたが、昭和三八年九月六日頃、川崎税務署樋口署員他二名が突然抜きうち臨店した。その時小西会員は、水道管が破裂して放水しているため緊急にその工事を完了させるため工事を進めていて仕事の手続のためズブ濡れの身体で店に戻つたところを臨店した署員に出くわした。同人はすぐ仕事を続けるためズブ濡れの身体を示して、後日改めて臨店して調査をしてくれるよう申し出たが樋口らはこの申入れを拒否し、執拗にくいさがり約三〇分にわたつて同人をひきとめ、その際「「調査」を拒否するのか」等々おどし文句を並べたてた。このような緊急時における最低限度の常識さえもちあわせず、強硬ないやがらせ行動を行なつたのである。
<2> 具体的なおどし文句を並べて脱会強要を行う。
枚挙に暇がないが、例えば藤井孝会員に対しては、「民商にかぎらず誰れでもたたけばほこりが出る」ということを具体的に明言し、民商を脱会しない限り「たたいてほこりを出す」と脱会強要した。
<3> 同業者組合等を利用して。
同業種組合がある場合には、税務署はこれら組合等の幹部と連絡をとり村八分的な手口をおりまぜて、脱会強要を行つた。理髪業における集団脱会はその一例である。
組合幹部を利用して組合員兼民商会員を呼び出しておき何ら組合業務と関係がないのに税務署員が出席して、「民商は反税団体である。民商をやめれば調査対象になつている人について調査をしない」と、利益誘導を行ない、脱会強要を行なつた。その結果会議に出席した会員は六名連名で脱会届を提出した。内藤正夫会員もその六名中のひとりであつた。
個人加入の団体にあつて六名連名の脱会届は異例のことであり逆にこのことは、いかに多くの人達に対して全ての人が脅威を感じるように徹底した脱会強要が行なわれているかを端的に示すものである。小宮証人自身が述べている酒屋さんのの例もこの例である。
また幹部が税務署の手足となり個人的に接触した手口もあつた。鈴木佳雄会員は、神奈川県理容環境衛生同業組合中原支部長嘉山兼雄より「民商をやめれば調査をしないと税務署からいわれているので民商をやめればよい」と利益誘導された。
その際右嘉山は、組合の幹部が税務署によばれ、同業者の問題を頼まれている旨申し述べた、同業者からの村八分をおそれ、また利益誘導の結果前記会員は、税務署と民商にそれぞれ脱会届を提出した。そしてその結果税務署の調査は行なわれなかつた。
<4> お得意先あらし
川崎欣一会員は、旋盤加工業を行なつていたが、税務署員丸森の手により、同人の主要なお得意先である青葉工業株式会社に対し五日間にわたつて反面調査を行なわれ、部品の使途・価値・性能等詳細にわたつて調べられた。
そのため同人は営業上多大な損害をこおむつた。
それのみならず丸森は反面調査が五日間もつづくのは「彼が民商会員だからこんな目にあうのだ。民商をやめさせろ」と脱会をすすめるよう強要した。事実青葉工業の社長夫人より民商をやめた方がよい、うちの会社まで大変迷惑している、取引もやめたい」旨の申し入れがあつた。
小黒金物店は、昭和三八年九月四日頃税務署員六人が臨店し、しかも店内に二人が残り、店の両側に二人づつが陣どるという異常なものものしさで「調査」強要した。
そのうえ右署員らは帰りに同金物店の納入先にたちより「あの金物店は民商の会員だから品物を買わないように」と話し公然と営業妨害を行つた。同金物店は最終的に、「民商に残りたいけれども営業上やむなく民商をやめます」と言つて民商から脱会していつた。
このような反面調査に名をかりたお得意先あらしやその他の手口による営業妨害は数多く行なわれた。
中小工業者にとつてこのようなお得意先あらしは致命的な打撃をうけることは必至であり、かくして民商に心を残しつつ数多くの人々が民商を去つていつた。これほど卑劣な人の生活を脅かす脱会工作はないのである。
<5> 家族全体への圧力
石井きよ会員は、数次にわたる多人数の臨店、いやがらせ行動にたえていたところ、税務署は、同人の夫が不二越精機株式会社の課長であつたことに目をつけ卑劣な脱会強要を行つた。
同人の夫に対し、直接会社に数次にわたつて電話をかけ、同人の民商脱会を強要した。その結果その会員は毎日このような臨店=営業妨害をうけ、しかも主人までも会社に何回も何回も電話をかけられる状態ではこれ以上たえきれないといつて、本人自らが民商をやめる旨申し出てきた。しかし心が民商に残つているしるしとして、営業用の南京豆を袋に一杯つめて脱会の申し入れをしていつた。
ところで右会員の場合には、後述する他の例同様税理士紹介を行なつた。後日同人が民商会員に話したところでは、何と税務署が紹介した税理士は、従前は民商との関係で税務署側の窓口を担当していて、弾圧の嵐が吹き荒れる少し前の昭和三八年春すぎに、税務署を辞した前川崎税務署所得税第二課第二係長佐藤勇であつた。
<6> 利益誘導
「民商をやめれば調査しない」という形の利益誘導は無数にあつた。そのうちのいくつかの例をあげておこう。
塩野谷きよ会員(日本そば店)は、最初は一人の税務署員が来たが、その後三日おき位に二回二人の署員が押しかけ、「脱会すれば調査しない脱会した方がよい」と脱会強要を行つた。
また稲子実会員(プレス加工業)は、商売をはじめたばかりであつたが「調査」のため臨店され、その際税務署員は、「税理士を招介するから民商をやめなさい」、と利益誘導をした。その結果同会員はその税理士に仕事を依頼し、現在までひき続いてその税理士に頼んでいるところである。
前記週刊朝日の記事を引用して、それがいかに日常的に行なわれているかを示そう。
「……と日置氏がいいかけたとき、一人のおじさんが入つてきた。
「いろいろお世話になつてこんなこといつちやなんだけどねえ、ごたごたがすむまで脱会したいんだよ、税務署でなあ、民商をぬければ善処するというもんで。係長がいうには内容証明にして脱会届を出したらいいだろうと。
それで青色申告会(青色申告者の任意団体)を紹介してくれただ。でもな、またなにかとお世話になることだから会費のほうは寄付にして続けさせてもらいます」。
おじさんはすまなさそうにそういつて帰つた。税務署が“善処する”とはどういうことなのか。
これは記者の目の前で行つたやりとりであり記者自らがその体験を記した個所である。
<7> デマ宣伝
権力がアカ攻撃の常とう手段として使うのがこのデマ宣伝であり民商弾圧でもこの手口は使われた。いわく「民商は共産党であり、あそこに入つているとどうなるかわからない」、いわく、「民商はアカだ。あそこにいるといろいろにらまれてためにならない」等々のたぐいである、またあるときは、「民商の会費は共産党の資金に使われている」のだといつた宣伝であつた。民商は中小工業者が租税の民主化のために大象的に数多く結集している団体であり、この種のデマ宣伝がいかに空しいものであるか多言を要しまい。
しかし、当時は執拗にくり返し行なわれたのである(例えば藤井孝会員の例)。
これらの事実は自主的組織に対する不当な介入である。労働組合法でいうならば、明々白々の不当労働行為である。
すなわち、民商にくみかえて考えるならば憲法第二一条の結社権の侵害である。
2 かくしてこのような税務権力の反憲法的行為により、民商会員の多数が組織から離脱する結果となつた。
脱会届についていえば(川崎の「調査」開始時九月二日)
届出第一号が昭和三八年一〇月一日であり、それ以後数ヵ月間集中的に現われるに及んだ。連日にわたる「調査」に名をかりた行動を口実に平山「事件」をデツチあげ警察権力の実力を発動し、あわせてマスコミを利用して大きく宣伝した成果は、一〇月一日以降の大量脱会届として結実した、この時期の脱会者は、弾圧前が約一、〇〇〇名の会員がいたのに、弾圧後は約六〇〇名、すなわち約四〇〇人もの大量脱会をみるに至つた。税務当局の弾圧の意図は一定の成果を収めた。
しかも右脱会届の形式および内容の同一性ないし類似性は単なる偶然ではなく、一定の強い「指導」が働いていることを如実に示している。
<脱会届の例> (省略)
文書等に書くことになれていない零細中小商工業者がかくも同様の文書を提出することは明らかに税務当局の指導の「たまもの」である。しかも、内容証明の形をとつたものまでもあつたのである。そのきわまりが税務署の印刷した脱会届なのである。
(ガリ刷りの脱会届があつたことは小宮証言でも明らかである)
3 税務当局の脱会工作の手口はさまざまであつた、見せしめとしてのそして民商組織との離間をはかるための刑事事件のデツチあげが実力の脅威という脱会のための一般的効果をあげるためのものであつたのは勿論である。同時に税務当局の日常的な「民商=反税団体」というキヤンペーンとともに刑事事件を使つて、マスコミ宣伝は民商を犯罰者扱いし、社会的に孤立させるためきわめて効果的に利用した。また税務権力の宣伝を考える場合に忘れてならないのは税金を使つて全く異例にも一〇万枚にのぼる民商をひぼうした新聞折り込みを配布したことである。弾圧のためにはいかなる手段もいとわないという、このうえもない悪質な暴挙であつた。
さらに、民商会員の家庭に数次にわたり、民商を反税団体と決めつけた文書を送りつけて、文書による暴力・威嚇的行為をあえて行つた。(小宮証言のとおり)
このようななかで、何ら調査の意見も実体もない臨店を福岡方が忙しいさなかをあえて強行し、もつて本件事件を修正のうえ作りあげたのである。
「平山事件」が民商弾圧といわれる縁由であり、権力犯罪そのものといわれるのもこのためである。
三、以上一、二で検討してきたとおり、本件における税務署員の言動は、何ら質問検査に値しない、もしくは全く違法な「質問検査」であり、従つてこの税務署員の言動に対する平山忠一氏の行動は、その具体的対応を論ずるまでもなく、その妨害罪は不成立といわざるをえない。ましては、本件福岡和彦に対しては税務当局は更正決定は当然のことながら行つていないのである。このことからみても本件「調査」がいかにデタラメな、逆にいかに弾圧目的をもつて行なわれたものかは明白である。
従つて不当な営業妨害と、これを利用しての民商破壊、結社権の侵害行為に対し、正々堂々と税務署側のやり方を是正するように努めるのは、国民固有の権利であり、民商事務局員として当然のことである。
四、本件訴追の違憲性
(1) 何人も憲法二一条により結社の自由を有する。被告人が事務局員として勤務する川崎民主商工会及び全国組織としての全国商工団体連合会は、中小商工業者が営業と生活を守るため、税金、金融、経営問題、生活相談に取りくんでいる団体であり、税制改革と税務行政の民主化を要求して結成以来一貫して斗つてきた。この団体及び団体活動に公権力が介入することは許されない。
いわんや、民商を誹謗中傷し、個々の会員の脱会工作、調査に名をかりた報復、いやがらせは団結侵害行為であり絶対に許されない。税務当局の三八年来の民商攻撃、そして本件の訴追、デマ宣伝はまさに結社の自由に対する侵害である。
さらに、いかなる団体であれ、またいかなる団体に所属しようともそのことの故に公権力が他と差別して取扱うことは、憲法一四条の法の下の平等に反し許されない。しかるに税務当局は、前述のとおり、民商なるが故に他の納税団体等と差別し、民商会員なるが故に調査等の実施並にその程度方法において他の納税者と差別している。本件調査もその一環であつた。不平等も極まれりというべきである。
民商及び民商会員は、以上の権利を「侵すことのできない永久の権利」として保障され、(憲法一一条)、自由及び幸福追求のためのその団結と斗いは「国政の上で最大の尊重を必要とする」のである(憲法一三条)。
税務当局の叙上の態度が、右条項をじゆうりんするものであることはいうまでもない。
(2) 本件訴追は、税務当局の違憲な措置に協力し、民商会員なるが故に行なわれた違憲な訴追である。
すなわち第一に、税務当局の民商破壊の攻撃に加功する点で同列の違憲を犯し、第二に憲法一四条、一五条、三一条に違反し、公正でなければならない捜査権、公訴権を特定の団体・個人に対して濫用する点で違憲を重ねているからである。
原判決はよろしくかような違憲な訴追に左袒せず、少くとも検察官の訴訟追行すなわち公訴を棄却すべきであつた
(公訴棄却の論点は後述)。
しかるに、あろうことか本件訴追に賛同し、税務署と民商間の問題の発生が、民商事務局の立合にあるとして、事務局員である被告人に敵意さえ示しているのである。原判決の違憲性は明白である。
(3) われわれは一審以来一貫して本件訴追は、民商に対する弾圧目的であることを主張してきた。それを立証するために選定理由の確定を要求し、福岡和彦に対する当該年度の所得調査カードの提出を要求した。
また当日の業務内容の繁閑と具体的な仕事の段どり、内容そして福岡方の玄関・事務所等の位置関係を明確にして、税務署の「調査」が全く「調査」の名に値いしない、営業妨害の行動であることを立証するため、現場検証の申出を行つた。
そればかりでなく、民商の破壊工作がどのように行なわれ、その一連の流れのなかで、本件がつくりあげられたことを立証するために、約一〇〇人に及ぶ証人の申請を行なつた。
しかしこれは全く裁判所の援用するところとはならなかつた。この裁判所の態度は、単に採証上の問題に止まらないのである。
それは、裁判以前の問題として、「税務署は悪事をなさず、権力に悪はなし」という発想でこれに対し、逆に被告人に対しては、民商組織をことさら意識して、予断と偏見に満ちて訴訟にのぞんだ必然の結果なのである。そうであるがゆえに、証拠の却下の日にあたつて従来にない、ことさら異常の警備体制をとつたのである。
従前は整然と傍聴券の交付が行なわれ、整然と法廷の入場がなしえたのに、右期日においてははじめて制服姿の警備員がものものしい形で配置されていたのである。
その姿は、裁判所の「予断と偏見」の象徴そのものであつた。
同時に本件にとつて、被告人側はもちろんのこと、税務署及び捜査当局にとつても最重要の証人は鈴木俊夫証人であつた。
右鈴木証人は、福岡宅の営業内容、事件当日の仕事の内容及び具体的やりとりについて詳細な証言を行つた。そして右証言内容は、被告人の有罪・無罪の判定にとつてきわめて重要なものであつた。
しかるに裁判所は、この証言については一言として触れていないのである。
これも単なる採証上の問題ではなく、裁判所の「予断と偏見」のあらわれというほかない。
このような証拠を排斥する一方で、原判決は証拠に基づかずに全く独断的に民商と税務署との関係について認定した。すなわち、「従来の税務調査が不十分で中途半端に終ることが多い」とか、「従来とかく民商事務局員の立合が調査の妨害等の原因になつた」とかいうのである。
これがいかに事実に反するかはすでに具体的証拠に基づいて詳細に反論したとおりである。このような具体的証拠に背をむけて、民商と民商事務局員を一方的に非難する裁判所の態度は、「予断と偏見」にみちみちたものとして厳しく批判されなければならないものである。
憲法第三二条は、「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と規定する。
原判決にあらわれた裁判は、この正当な裁判を受ける権利を妨げるものであつて、同三二条に違反するものである。
以上